ミネアポリスで、白人の警官が黒人男性に暴行を振るい死なせたということで、USAでは暴動に近いデモが頻発しています。USAだけではなく他の国でもデモが起きていて、なぜかまったく無関係なはずの大阪あたりでも起きたようです。デモとなれば「三密」のうち、「密閉」を除く二密が否応なく成立してしまうわけで、この時期に大丈夫なのだろうかと思いますが、USAでは医療を受けるのに目玉が飛び出るほどの費用がかかり、低所得者はまず医者にかかるのが難しいし、中流層すら「医療破産」が問題になっているほどです。なんだかんだ言って低所得層には黒人やヒスパニックなどが多く、コロナ禍で死亡しているのもその層が大半を占めていると思われます。USAの感染者や死者が飛び抜けて多いのはそのせいであるとも言われ、そんなことへの不満もまた、デモや暴動の要因となっているに違いありません。 シアトルなどでは、暴徒が調子に乗って町の一区画を占領し、その中には警察も立ち入れなくなってしまったとか。そう広い区画ではないようですが、独立国みたいな状態となり、とあるラッパーが「将軍」と呼ばれて押し立てられているそうです。トランプ大統領は州兵を繰り出して鎮圧すべきだと主張していますが、州知事や市長は反発しています。ただ反発はしても、事態を収拾する智慧はいまのところ浮かんでこない模様です。 小区画ではあっても、国法の通用しない領域を国内に作ってしまったとなると、内乱罪ということになりそうで、内乱罪ならばたいていどこの国でも極刑をもって対処することになっています。日本でも確か死刑か無期懲役の二択しかなかったと思います。知事や市長が州兵出動に消極的なのは、いずれも民主党の首長でトランプ大統領に反対しているからと見られますが、だからと言って放置しておいたら、取り返しのつかないことになりそうです。 こんな大きな騒ぎになったのは、言うまでもなく白人の官憲が黒人の民間人を死に至らしめたということで、根底に人種差別があると考える人が多かったからでしょう。1960年代の公民権運動以来半世紀以上経っても、依然としてUSAでは人種差別問題がセンシティブな事案であることを実感せざるを得ません。 警官には、たぶん別に人種差別の意識は無かったのだと思います。取り押さえたのがたまたま黒人だったからこんな問題になってしまったのであって、もし相手が白人であったとしても、彼は警官として同じことをしたに違いありません。取り押さえるときに力を込めすぎて相手が死んでしまったのはやりすぎと言えるでしょうから、「警察の横暴」を叫んでデモが起きるのだとしたらそれは無理もないところです。しかし、「人種差別」で糾弾されるとなると、当の警官としても 「え? ええ〜っ?」 と言いたいところではないでしょうか。 しかし、「加害者側にそのつもりが無くとも、被害者側がそう感じたらそれが事実となる」のが昨今のポリティカル・コレクトネスというものです。黒人の多くが、そしてポリコレに染まった一部の白人が、この事件を「人種差別案件」であると断じたなら、事実もそうなってしまうのがUSAの現状なのです。 USAという国はもともと、黒人奴隷の存在を不可欠とする形で成立しました。ヨーロッパに較べて圧倒的に広い国土を開墾するには、入植者の人口が少なすぎたのです。先住民であるインディアンも、その人口密度は著しく低く、捕まえて使役するには少なすぎました。それで、アフリカから大量の人間を狩ってきたわけです。当時の意識としては、人間を狩ってきたのではなくて、作業のための機械を導入したような感じだったでしょう。 それにしても多くの地域で、すでに奴隷制社会など過去のものとして廃れている時期に、よくそんなことができたものだと嘆息したくなります。想像するに、キリスト教が急激に唯我独尊化する時期とUSAへの入植が、ほぼ一致していたからではないでしょうか。 キリスト教は、実際には中世ころにはまだ、そんなに唯我独尊ではなかったように思えます。イスラム教ともユダヤ教とも、それなりにうまく折り合っていた気がするのです。中世のユダヤ教徒は迫害されていたと思われがちですが、『ヴェニスの商人』のシャイロックが金貸しを営んでいるのでわかるとおり、ユダヤ人は当時のキリスト教徒には禁じられていた金融業を担当し、多くはたいへん富んでいました。そのためにそねまれ憎まれてはいたでしょうが、金融が無くては社会が廻りません。中世のユダヤ人は、憎たらしいけれども居ないと困るというような存在だったでしょう。 キリスト教徒に金融業が解禁されたのがいつごろだったかはつまびらかにしませんが、おそらくプロテスタントの勃興に伴ってのことだったのではないかと思います。教会を通さず、ひとりひとりが神と向き合うというのがプロテスタントのありかたです。また、神が成績簿をつけるかのように人々のこまかな営みを全部見すまして最後の審判を下す……という考えかたをプロテスタントではしていません。人がこざかしい善行を積み重ねたところで、神の偉大なる審判にはなんら影響を及ぼさないというのが、カトリックとは正反対のプロテスタントの教義です。 そういうプロテスタントの考えかたが、ルネサンスの人間主義につながってゆくわけですが、キリスト教が至上のものであって、キリスト教徒以外は人間とは見なさないというようなむちゃくちゃな絶対主義に陥って行ったのも、実は同じ頃に、同じ流れのもとでのことだったのではないかと私は見ています。ユダヤ人の迫害というのも、その頃からはじまったことなのでしょう。プロテスタンティズムにより、キリスト教徒も商業や金融業を営めるようになって、そうなるとユダヤ人は商売敵ともなり、排斥すべき存在と見なされるようになったのだと思います。 USAは、カトリックや英国国教会などと衝突して生きづらくなったプロテスタントたちが植民して作った国です。植民の初期には、プロテスタントの中でもとりわけ狂信的で頭の固いピューリタン(清教徒)がその主な構成員でした。つまり、USAは最初から、ゴリゴリのキリスト教至上主義者たちによって建設されて行ったのだと言えます。彼らはキリスト教徒以外をガチで人間扱いしませんでした。インディアンたちを殺戮したのも、キリスト教徒でないという理由が主なものだったでしょう。黒人を奴隷──というか労働機械──として「使用」して恥じなかったのも、キリスト教徒でなかったからです。 そういう状況が何百年か続き、そのうち黒人奴隷たちの中にもキリスト教が根付き、独特のブラック・アメリカ文化が生まれました。黒人霊歌やゴスペルソングなどがその好例です。しかしそうなっても、「使用者」たちが彼らを同じキリスト教徒として受け容れることはありませんでした。長年の固定観念で、白人が黒人より神に近い存在であるという考えかたがしみついてしまっていたのです。 USAが独立し、19世紀となり、さすがに東部の先進地帯では、奴隷制がすでに世界的に見て感心できないものであると考える人が増えてきましたが、南部の農作地帯では、まだまだ奴隷が存在しないと経済が成り立たない状態でした。奴隷に依存しない社会を作るべきだという東部・北部の人々と、そんなのは時期尚早だとする南部の人々が、互いに一歩も引かずに衝突したのが南北戦争です。 結果的には北が勝ちましたが、黒人奴隷がすぐに解放されたというわけではなさそうです。たぶん最初は、売買するのを禁止されたというところでしょう。『ハックルベリー・フィンの冒険』で、主人公の少年に同行する黒人奴隷のジムは、カイロという街に行って奴隷身分から解放されることを望んでいます。このカイロはエジプトの首都ではなくて、ミシシッピ川沿いの小都市でしょうが、たぶんそこはいわば「解放区」だったのだろうと思われます。そういう土地があちこちにあったのでしょう。 このくらいの時期から、黒人以外の労働力が入ってくるようになります。特に西海岸ではもともと黒人労働力が不足していたこともあって、中国人がわんさか入ってきたのでした。少し遅れて日本人もやってきます。 高橋是清が渡米時代に奴隷として売られたという話があります。南北戦争後、黒人奴隷の売買は禁じられましたが、それ以外の奴隷の売買はまだおこなわれていたことを証明しています。また、アジア人は黒人より下に見られていたらしいことも窺われます。 第一次世界大戦後に発足した国際聯盟で、常任理事国であった日本は、人種差別撤廃の案件を会議にかけます。しかし、USAはそれに反対しました。これからも人種差別を続けることを、悪びれもせずに宣言したのです。そして間もなく、露骨な人種差別政策である排日移民法を制定しました。大東亜戦争にはさまざまな要因がありますが、排日移民法が大きな要因であったことは間違いありません。いかに言いつくろっても、USAというのはそういう国なのです。 公民権運動を経て、白人と黒人その他の有色人種のあいだに、制度的な差別は無くなりました。しかし、制度を無くしただけでは、なかなか融け合うものではありません。もとから富んでいる者はいまでも富んでおり、貧しい者は貧しいままであることが多いのです。実際のところ、USAの上流階級は依然としてWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)であり、黒人の大富豪というのは数えるほどしか居ません。また人の心の中の上下感覚というのはそうそう変わるものでもないでしょう。貧しい者たちは、まだ自分らはさげすまれ差別されていると感じ続け、それがときおり暴発することになります。 今回のコロナ禍で、USAのおそるべき医療格差についても浮き彫りになりました。貧しい層は病気になっても容易に医者にかかれないとは、仮にも世界最高水準の先進国とは思えない様相です。何ごとも自己責任のお国柄なので、健康保険も強制加入ではなく自分で入っておかなければなりません。しかし貧しい層はその保険料を払うのも容易でないのです。しかも、わが国の自動車保険などと同じく、医者にかかるだけ保険料が高くなります。おまけに保険適用の医療機関はさほど高度な医療をおこなうことができないようです。このため健康保険に未加入の人が多く、うっかり盲腸炎にかかっただけでも何万ドルという医療費をふんだくられます。 USAでも、たまに国民皆保険の法案が出てくるようですが、いまのところ通ったためしはありません。国民の自由──保険に「入らない」自由──を侵害する、という考えかたであるようです。自由とはなんだろう、と考えてしまいます。 ともあれ、貧富の差によるこういった格差は、その貧富の分布に人種や民族による特性が見られる場合、容易に「人種差別」「民族差別」への抗議という形に変化しうるという点、つねに気をつけておかなければならないとは思います。 ひるがえって日本はどうだろうかと考えます。一部の人に言わせると世界最悪の人種差別・民族差別国家であるとのことですが、外国人旅行者や短期滞留者などからは、おおむね評判が良いようです。いろいろな国に行ったが、いちばん差別が無いと感じたのが日本だった、と言う人が少なくありません。
日本人の習俗の中に、まず「客人(まろうど)を遇すること神のごとくせよ」という意識がしみついています。かつて、外の情報や物品を持ち込んでくれる旅行者は、どこの村でもありがたい存在でした。だから旅行者を優遇するのが日本人の性根と言って良く、日本のホスピタリティの良質さは昔から諸外国でもよく知られていました。明治時代くらいでも、日本を訪ねた外国人は、ほぼごくごく満足して国へ帰ったものです。 ただし、訪問者が「客」ではなく、住みつこうとした場合は、両極端というか二律背反のような評価がおこなわれています。 ある人々は、日本人は非常に温かく親切で、心から迎えてくれた、と言います。 しかしある人々は、日本人は冷たく排外的で、決して心を開かない、と言います。 後者の人々は、だから日本人は人種差別的だ、と断ずることになるでしょう。しかしそれなら、前者の人々も少なからず居るのはなぜか、ということになります。 実は、日本人については他の評価もあります。日本人は「鏡」だ、というのです。 博愛主義者が見れば博愛主義的で、差別主義者が見れば差別主義的で、親切な人が見れば非常に親切で、心を開かない人が見れば決して心を開かないように見える、というわけです。見る人の心をそっくりそのまま鏡のように映すのが日本人だというので、その一員としては面映ゆいようでもありますが、なるほどそうかもしれないとも思えるのでした。 それはともかく、日本人も日本社会も、みずからそこに参加し融け込もうとする人に対しては温かく迎え入れるでしょう。髪や肌や眼の色がどうだろうと、日本語がカタコトだろうと、ひとたび浴衣を着て盆踊りに参加でもしたら、もうご近所の仲間だという意識が普通に芽生えるだろうと思います。 一方、同国人だけで寄り集まって騒いだりしている連中、自分らのやりかたを押し通そうとしてこちらに馴染もうとしない連中などは、冷たい眼で見られることになりそうです。 ここも、「鏡」なのかもしれません。馴染もうとする人にはすぐ馴染み、我を通そうとする人にはそれに対応する力で抵抗するのが日本人であり、日本社会なのでしょう。両極端な感想が出てくるのはそのせいだと思います。 しかし近年の傾向を見ると、「我を押し通そうとする人に対し抵抗すること自体が差別である」というような雲行きになってきて、やや心配です。こんなことでは押しの強いほうばかりが得をする世の中になってしまい、日本の居心地の良さに馴れている私などにとってはたいへん生きづらいことになりそうです。USAはすでにそういう社会になってしまっているようでもあり、それは長らく人種差別を是としてきた自分たちの国への負い目というものなのかもしれませんが、何ごとも極端なのはよろしくないと思う次第です。 いずれにしろ、人種差別反対デモのようなことが起こると、それが容易に暴徒化し、掠奪暴行なんでもありの無法状態に陥ってしまうのは、どうも文明国とも思えない有様です。USAも少し考えたほうが良さそうです。 (2020.6.13.) |