忘れ得ぬことどもII

国語世論調査結果に思う

 文化庁がやっている「国語世論調査」というのがあって、平成7年から毎年実施されているようです。調査そのものは多項目にわたり、外国人と日本語に関する意識とか、漢字に対する印象などにも及んでいますが、例年新聞などで話題になるのは、慣用句などの意味とか使いかたについての調査結果であることが多いようです。
 今度発表されたのは、令和元年度調査の結果です。令和元年度といってもこれは会計年度で、調査は今年(2020年)の2月から3月にかけておこなわれました。
 慣用句というのは、どうも意味の取り違えが多くなる傾向があるようで、有名なところでは「気の置けない」「役不足」「おざなり(お座なり)となおざり(等閑)」などが、本来の意味と取り違えた使いかたをされていたりするようです。「おもむろに」「やにわに」なども必ずしも正しい意味合いが理解されていない気がします。
 「汚名挽回」というのもよく槍玉に挙がります。汚名(悪い評判)を挽回してどうするんだ、「汚名返上」の間違いだろう、と普通は考えますが、挽回というのはただ「元に戻す」だけでなく「マイナスからプラスに引き上げる」意味なので、「頽勢(劣勢)挽回」などと同様「汚名挽回」も別に間違ってはいない、という説もあります。ことばの意味というのは時代によって揺れ動くものですから、そんな論争が起こることも避けられません。
 さて、今回の調査で採り上げられたのは、まず「浮き足立つ」「敷居が高い」「手をこまねく」の3つの言い回しの意味でした。この3つが、いずれも本来の意味よりも、違った意味合いで理解されていたというのが驚きです。「手をこまねく」は正しい意味で理解していたのが37.2%、「敷居が高い」は29.0%、「浮き足立つ」は26.1%しか合っていなかったそうです。

 「手をこまねく」は「何もせずにただ傍観している」というのが本来の意味ですが、47.4%の回答が、「準備して待ちかまえている」と解釈していたとのこと。残りの15.4%は「わからない」だったのか他の意味だと思っていたのか。
 「こまねく」は漢字だと「拱く」と書き、「手をこまねく」は「拱手(きょうしゅ)という漢語の読み下しです。拱手は東アジア地域での儀礼のひとつで、中国の歴史ドラマなどでよく見ることができます。指を揃えて、片手の手のひらでもう片方の手の甲を包むような動作が一般的です。昔は(ゆう)の礼とも呼ばれ、日本ではあまり普及しませんでしたが、沖縄ではおこなわれていたようです。
 転じて、その礼の形をとったままなんにもしない、ということになりました。
 「こまねく」の漢字が「拱く」であること、そして「拱手傍観」という四字熟語があることがわかっていれば、「手をこまねく」が「傍観している」意味だということはすぐに類推できるのですが、いまや漢字での書きかたも四字熟語のほうも、あんまり知っている人が居ないのかもしれません。
 それにしても「準備して待ちかまえる」という意味がどこから出てきたのかよくわかりません。「手を拱く」という動作が「腕組みする」などと間違われ、「準備万端、いつでも来い!」という余裕ある態度と考えられたのでしょうか。それとも、「こまねく」が「招く」の派生とでも考えられたのでしょうか。とにかく30代くらいまでの勘違い度が甚だしく、何か間違いの「出典」がありそうな気もします。

 「敷居が高い」は「相手に不義理をしてしまって訪ねづらい」というのが本来の意味合いですが、「高級すぎたり上品すぎたりして(店などに)入りづらい」と解している人が、半数以上の56.4%も居たそうです。
 まあ、「家屋に入りづらい」という根源的なところは合っているものの、その入りづらい理由が変遷しているようです。近頃はあんまり他人に対して「不義理」を感じたりすること自体が無いからではないかとの考察もありました。しかしそれよりも、私が思うに、「ハードルが高い」という言いかたと混同してしまっているような気がします。
 私の畑の例を挙げれば、先生のところにレッスンを受けに行く予定だったのをすっかり忘れていて、無断欠席してしまい、謝りの電話などをするタイミングも逸してしまい、なんとなく次のレッスンに行きづらくなった……というのが「敷居が高い」話です。実際、私のところにレッスンを受けに来ていた生徒が、急に来なくなったということも何度かあり、たぶん敷居が高かったのだろうなと思います。

 「浮き足立つ」というのは、「怖れや不安を感じ、落ち着かずそわそわしている」という本来の意味に対し、「喜びや期待を感じ、落ち着かずそわそわしている」と解した人がなんと60.1%に達したのだそうです。「落ち着かずそわそわしている」という点は一致しているのですが、その原因がほぼ180度違ってしまっているのでした。
 「敵将、討ち取ったり〜〜!」
 「よし、敵兵は浮き足立っておるぞ。今こそ突撃じゃあ〜!」
 「おお〜〜っ!」
 というようなのが本来の「浮き足立つ」です。これを「喜びや期待」と考えてしまったのは、「ウキウキする」「浮き立つ」というような語感と混ざってしまったからかもしれません。確かに「足が勝手に踊り出してしまう」というような印象もあります。初デートを前に、駅のプラットフォームで思わずタップを踏んでしまっているニヤケ男を眺めて
 「浮き足立ってるな〜〜」
 と思うという感じでしょうか。
 ちなみに、マダムは3つとも、正しくないほうで理解していたそうです。40代でもそんな様子なのかと驚きます。

 これらの「間違い」が、将来「正しい意味」として認められるかどうかはなんとも言えません。6割が間違えていたからと言って、そちらが正しくなるとも限らないのです。すでに古典的とも言える「役不足」も「汚名挽回」も、間違えている人は多かったものの、まだ意味が完全にすり替わるというところまでは行っていないようです。
 「浮き足立つ」「手をこまねく」は、いわば真逆の意味で間違われているので、意外と本来の意味で生き延びるかも知れません。しかし「敷居が高い」は、本来の意味と間違った解釈とで、内容が対立しているわけではなく、ある程度重なる部分もあるため、「高級すぎたり上品すぎたり」というほうも認められてゆく可能性があります。実際、すでにその意味を載せている辞書も出ているそうです。

 ある意味を表現したいときにどちらの言いかたを使うか、という設問もありました。「雪辱を果たす」「雪辱を晴らす」か。「新規まき直し」「新規まき返し」か。
 「雪辱」は「辱(はじ)」を「雪(すす)ぐ」ということで、「はじをすすぐことを……」と言い換えてみれば「晴らす」はおかしいことがわかります。雪の字を「すすぐ」と読めなくなっているから、これがおかしいとはわからないわけでしょう。50.5%が「晴らす」にしてしまっていたそうです。
 「新規まき直し」の「まき」は、漢字では「蒔き」です。畑に種を植えるという意味の「まき」であるわけなので、「まき返す」では意味がわかりません。劣勢から逆襲する意味の「巻き返し」とごっちゃになっているのでしょう。ちなみにこれは正確には「巻き返し」でもなく「捲き返し」が正しく、「捲土重来(けんどちょうらい)」という四字熟語からの派生語です。調査結果では「まき返し」が44.4%、「まき直し」が42.7%と拮抗しています。
 「手をこまねく」もそうでしたが、漢字で書かなくなってしまったり、漢字の読みかたがわからなくなったり、元になった熟語が使われないために意味を勘違いしてしまうというケースが、慣用句の場合はけっこうあるのではないかと思います。あとは「敷居が高い」≒「ハードルが高い」のように、似た言い回しから意味が混ざってくるケースでしょうか。

 さて、こんな実例にもかかわらず、「国語が乱れていると思うか」という質問に対し、「まったく乱れていないと思う」「あまり乱れていないと思う」という回答が、まだ少数派とはいえ、年を追うごとに多くなっているのだそうです。平成11年度の調査では両回答を併せて10.3%だったのが、今回の調査では30.2%にまで増えていたとか。
 「言葉は変化するものだ」という認識がひろまってきたからかもしれません。ネットなどをやる人が増えて、その変化している「現場」をまのあたりにする人も多くなったのだと思います。「乱れているなどと言ったところで仕方がない」というあたりが本音ではないでしょうか。
 実際、国語の乱れについては、最近だけの話でなく、徒然草の昔からずっと嘆かれてきたものです。どの時代にも、国語の乱れを憂う頑固爺さんは居たもので、彼らの嘆きを真に受けると、日本語というのは時と共にどんどん悪化の一途を辿ってきたとしか思えなくなります。しかし、私も何度も言っていますが、兼好法師の文章で原子力は語れないのです。私の見るところ、日本語はさほど良くも悪くもなっておらず、ただ表現できる幅が時代と共にものすごく広くなってきたというだけのことでしょう。
 そういえば、私もかつて何度も話題に乗せた「超」を「すごく」という意味で使う若い人が、最近はだいぶ減ってきたような気がします。それでは「超」の代わりになんと言っているのかというと、テレビなどで素人さんのしゃべりを聞く限りにおいては、「めっちゃ」というのが耳につくようになりました。意味合い、使用頻度共にかつての「超」と同じような使われかたであるように思われます。語感は「超」よりさらに耳障りなようでもありますが、かつて多用された「むちゃくちゃ」の変形ですので、ある意味では元に戻ってきているようでもあります。
 私は「超」というのは「超音波」「超能力」「超特急」のように体言修飾語だと思っていて、それを形容詞(「超カワイイ」とか)や動詞(「超ムカツク」とか)などの用言につけるのはシンタックスエラー(語法の誤り)だと考えていたから使用に批判的でしたが、「めっちゃ」にはそういうところが無いので、実はまあいいんじゃないかと考えています。
 私の若い頃にはやった「翔んでるナウいヤング」といった言い回しがすでに「死語」とされ、使われるとしても嘲笑混じりになっているわけで、流行語の大半はいずれ淘汰されます。その中で残ってゆくのはやはり、たいていの人が語形に違和感を覚えず、文中で変に目立つことのない、比較的「おとなしい」言葉でしょう。長い時の流れのうちに、そういう「新語」が次々に付け加わって、いまの日本語が出来上がってきたのだと私は思っています。私も、もし訊かれれば「国語はあまり乱れていないと思う」と答えることになるのかもしれませんね。

(2020.9.26.)

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