幻の北海道共和国

 「シミュレーション小説」が大流行している。「紺碧の艦隊」あたりが火付け役だと思うが、歴史上の事件を少し動かして、そのあとがどうなるかをシミュレイトするというのが眼目である。歴史は、確かに偶然が動かしたとしか思えない場合がしばしばある。元寇の時に神風が吹かなかったら。桶狭間の時に雨が降らなかったら。関ヶ原で小早川秀秋が寝返らなかったら。
 そう言った、偶然が左右したと思われる歴史的事件だと、条件を少し変えれば違った結果が出てくるに違いないと考えるのは自然である。偶然とまでは言えなくても、渦中の人物の性格や知識が少し違っていれば別の結果が出たのではないか……。
 しばらく前までは、「歴史にイフはタブー」と言われ、小説家などが仮想の話をする時でも、その言葉を枕詞にしておそるおそる書かざるを得なかった。しかしその後、
 ――適切なイフを設問することによって、歴史の本質がよりよく見えるはずだ。歴史のイフは大いに意味がある。
 という意見が声高に唱えられるようになり、歴史学者さえもそれに同意せざるを得ないような風潮になってきた。かくして、「もし、あの時……」というタイプの仮想歴史小説、すなわち「シミュレーション小説」が続々と発表されるようになった。
 最初の頃は、多少条件を動かしても、歴史の大枠は動かせず、結局もとの歴史の本筋に収束するという筋立てのものが多かったように思われるが、この頃は開き直ったように、大胆に歴史を変えてしまうものが見られるようになった。
 と言うより、「いくつかの条件だけを変えて、そのあとの展開をシミュレイトする」という本来のありようからかけ離れ、ただ単に歴史上の人物を登場させたというだけの荒唐無稽なファンタジーばかりが目立つようになってきた。小説としてはそれでよいのかもしれないが、もはや歴史の再点検という意義は失われている。
 なんだかいまさら、という感もあるが、誰かぜひしっかり書いてみて貰いたいと私が思っている題材がひとつだけある。
 それが、「北海道共和国」のシミュレーションである。
 これを、妙な面白おかしい小説家的色気抜きで、冷徹に分析し執筆してくれる作家が現れないかと思っているのだが。

 「北海道共和国」とは何か。
 徳川慶喜が江戸城を開城したのちも、旧幕臣や佐幕勢力は明治政府軍に対して各地で抵抗を続けた。いわゆる戊辰戦争である。政府軍はこれらを各個撃破してゆくわけだが、佐幕勢力が揃ってあてにしていたのは、当時最強を謳われた、榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府艦隊である。
 実はその頃、陸軍よりは海軍の方が圧倒的に強かった。それはわずか数隻の英国軍艦に、あの勇猛な薩摩武士が手も足も出なかった薩英戦争でも明らかである。陸上のいかなる大砲も、軍艦の砲には到底かなわない。射程も砲弾の大きさも段違いなのだ。しかも、陸は動かないが、軍艦は小さくてしかも自由に動ける。従って、軍艦は陸上砲の射程距離外から、悠々と敵陣を狙い撃つことができるのである。
 明治政府軍は、陸軍こそ薩長の猛者たちがひしめいていたが、海軍力はお粗末なものだった。だから、江戸城開城の時、もっとも怖れたのが、江戸湾沖に停泊中の榎本艦隊であった。
 政府側は、必死で榎本を説得し、帰順させようと努めたが、交渉は決裂し、明治元年(1868)8月、榎本は艦隊を率いて脱走した。これを留める力は、明治政府にはなかった。
 その後艦隊は仙台付近に寄港し、会津藩・仙台藩などの藩兵を収容して、10月、北海道に上陸した。収容兵の中には、新撰組(しんせんぐみ)副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)なども含まれていた。
 榎本たちは、明治政府の任命した函館府知事を追放して北海道を制圧した。12月15日、彼らは投票によって榎本を総裁に選出し、明治政府に対して独立した政権の樹立を高らかに宣言した。
 これがいわゆる「北海道共和国(蝦夷共和国)」である。アジアで最初の、民主的選挙による政権だ。
 英国とフランスが、「事実上の政権」としてこれを認めた。国際的にも承認されたのである。

 だが、当の榎本は及び腰であったようだ。
 新潟や庄内では、榎本艦隊の来港を待ちこがれていた。政府軍の艦隊を蹴散らして、外国からの武器輸入をまっとうし、政府軍相手の戦争を続けるつもりだったのである。
 ところが、榎本はなぜか動かなかった。
 お粗末な政府艦隊とはいえ、榎本艦隊さえ現れなければ新潟港を封鎖することは容易である。武器を積んだ船は次々と政府軍に押さえられ、新潟や東北の佐幕藩は補給を絶たれてじり貧となった。結局、榎本の来援を得られぬまま、これらの勢力は次々と潰されてしまった。
 榎本の方にも事情はあったろう。主力艦の一隻が、嵐に遭って座礁・沈没してしまったり、幹部たちの意見が案外とまとまらなかったりと、ごたごたしていたのだ。が、それにしても、せっかくの英国やフランスの承認に対して、
 ――いや、日本と別の国家を作ったつもりではない。
 などと否定したり、どうも煮え切らない態度が目立つ。
 思うに、たぐいまれな秀才であった榎本は、明治政府の勢いを見て、これはとてもかなわないと思ってしまったのではないだろうか。秀才は、先が見え過ぎるゆえに、国を作り出すというような荒仕事には向かないのである。
 翌明治2年4月、政府が海陸の大軍をもって北海道に上陸すると、日本初の西洋式要塞で難攻不落を謳われた五稜郭にこもりながら、榎本はわずか1ヶ月あまりで降伏してしまう。自慢の艦隊もほとんど用いることができないままの敗北だった。

 ここで、いくつかのイフを設定する。
 榎本が、繊細な秀才でなく、高杉晋作西郷隆盛のような、英雄の気韻をもつ人物であったとしよう。
 そして、主力艦が嵐で沈んだりせず、艦隊が無傷であったとしてみよう。
 そうすると、おそらく彼は英国その他の承認を否定したりはせず、それを最大限に利用しようとしただろう。
 諸外国としても、実際のところ、日本に強大な統一政権ができることはあまり望んでいなかった。分裂していてくれた方が御しやすいのである。実際の榎本は、秀才だけにそういう諸外国の魂胆がわかっていたから、あわてたように否定したが、もし彼が英雄の資質を持っていたならば、わかった上で諸外国を手玉に取ろうとしたはずである。
 政府軍が迫ってきた時も、五稜郭に立てこもろうなどとは考えず、艦隊決戦によって政府軍を撃滅しようとしただろう。大体、制海権が奪われてしまえば、どんな堅固な要塞にこもったところで無駄なのである。日露戦争でも、ロシア軍のこもる旅順要塞は、陸からどんなに乃木希典の軍が攻めても墜ちなかったのに、旅順艦隊を全滅させて制海権を握った海軍が、艦砲を揚陸して砲撃するとあっけなく陥落した。
 榎本が、主力艦の一隻を失っていたとはいえ、艦隊決戦に持ち込もうとしなかったのは、太平洋戦争の時に日本海軍が陥ったのと同じ失敗、つまり艦隊保全主義に囚われていたからに違いない。艦隊保全主義をとると、結局艦隊の真の力を発揮させることができずに艦隊そのものがスクラップにされてしまうのは、歴史の教えるところである。
 さて、艦隊が無傷で手元にあって、榎本がもう少し大胆な男であれば、津軽海峡を渡ってくる政府軍の艦隊を邀撃しようとしただろう。艦隊決戦というものは実に明快で、強力な軍艦、強力な艦砲を持っている方が必ず勝つ。根性やら愛国心やらの介在する余地はない。駆逐艦が何十隻集まっても、一隻の戦艦を沈めることはできないのである。あるいは、三等巡洋艦が敵の戦艦に遭遇したら、できることは逃げること以外にはない。兵隊がどんなに訓練を積んでいても、巡洋艦が戦艦に勝てることは絶対にあり得ない。そういう非情なまでの明快さが海戦の面白さでもある。
 完全体の榎本艦隊であれば、政府軍の艦隊などは敵ではない。ろくろく上陸もかなわないだろう。政府軍は撃退され、しばらくは再度征伐する余裕もなかったに違いない。
 まあ、こうやって「北海道共和国」が名実共に成立したと考えよう。
 そのあとの歴史は、どう変わるだろうか。

 まず、「北海道共和国」が経済的に存続し得たかどうかを考えてみる。
 当時の北海道はまだ未開で、稲作はほとんど行われていなかった。
 しかしながら、酪農は始まっていたし、諸外国の協力を仰いで開拓を進めることは可能だったろう。
 また、北海道は石炭の産地である。幌内炭鉱などは、実は榎本自身が、のちに発見したものだ。エネルギー源としての石炭の重要度は言うまでもない。石炭を輸出して外貨を稼ぐことも充分可能だった。
 国の規模としてはどうか。北海道は一島だけで、オランダベルギーを合わせたよりも広い。千島・樺太を含めれば、面積的大国の時代であった19世紀でも、それほど見劣りしない規模になる。貿易を主にし、漁業、酪農、製炭などの産業を整備してゆけば、「東洋のデンマーク」と呼べるほどの豊かな土地になったことだろう。
 一方、「日本国」にとっては、北海道の石炭が利用できないことになり、その後の富国強兵政策に大いに影響したものと思われる。本州以南には、さしたるフロンティアも残っていない。かなり苦しいことになったのは確かだ。
 ところで、こうなった場合、「北海道共和国」の版図内に住んでいるのは、大半がアイヌである。共和国政府は、すぐにアイヌ対策を考えなければならなかっただろう。強圧的に臨んだかもしれないが、何しろ相手の方がずっと多いから、いずれある程度の妥協を余儀なくされたことは疑いない。「北海道共和国」は、最初から複民族国家として国造りを考えて行かなければならない。この点は非常に重要である。
 私はこうも思うのである。「北海道共和国」が日本国の隣にあったとしたら、「同じ言語を話す外国」ということになる。アイヌ語と混淆して多少違った日本語になるかもしれないが、ドイツとオーストリア、英国とアメリカ、フランスとベルギーのように、同じ民族で同じ言葉を使っているのに外国人、という状態が訪れる。しかも相手は複民族国家だ。こんな状態が続いていたら、日本人の国際感覚や民族感覚も、今とはだいぶ違ったものになっているのではないか。

 日清戦争日露戦争も、全く違った様相を帯びたことは間違いない。
 津軽海峡をはさんで外国があるとすれば、いくら良好な関係を結んでいたとしても、当時の世界情勢では、日本国は青森沿岸にかなりの兵力を張りつかせておかないわけにはゆかない。他の用途に使える兵力はだいぶ削られる。その状態で、日清戦争を引き起こすことはできただろうか。日清戦争はどうやら日本が挑発して発生したようだが、この場合挑発する勇気はなかったのではないか。
 日清戦争はかろうじて戦えたとしても、日露戦争はどうなったろう。
 こちらは、明らかにロシアが執拗に挑発し、これ以上黙っていては国民が承知しないばかりか他の国からも蔑まれるだろうという、ぎりぎりの状態に追い込まれた日本が反撃した戦争であった。日本は本土をほとんど空にして大陸に兵を送り、謀略の限りを尽くしてようやく判定勝ちに持ち込んだという、苦しい戦いを強いられた。
 北海道共和国への備えが必要だった場合、そんなには大陸に送れない。戦況が同じように推移したとすれば、日本はなすすべもなく負けていただろう。
 しかし、ロシアの立場で考えると、別のシナリオも想定できる。
 基本的には、アジアに不凍港を得たいというのがロシアの願望だったのだから、むしろ日本など相手にせず、北海道共和国を虎視眈々と狙ったかもしれないのである。北海道を手に入れれば、とりあえず不凍港は確保できる。
 逆に、日本を牽制するため、北海道共和国に甘い顔を見せて仲間に取り込む、といった戦略も考えられる。
 このあたりになると、私の想像力は限界である。この先を、誰か書いてくれないものか。本になったら買って読む。

(1998.2.24.)


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