プロローグ 旅立ちの前に


 幼い頃から、汽車が好きだったようだ。
 物心ついた頃には、もう蒸気機関車はほとんど走っていなかった。私は昭和39年の生まれだが、この年、東海道新幹線が開通し、すでに蒸気機関車は過去の遺物のように思われはじめていた。そして4年後の昭和43年10月の国鉄(当時)白紙ダイヤ改正、関係者や鉄道ファンには「ヨンサントオ改正」として知られる大改正において、全国の路線にディーゼルカーが配備されると共に、蒸気機関車は急激に姿を消したのである。
 しかし、人々は、依然として鉄道の代名詞として「汽車」という言葉を使っていた。
 その当時としては、大都市近郊の、例えば山手線、京浜東北線、大阪環状線などを走っている近郊型車輛を「電車」、そうでないのを「汽車」と呼び分けていたようである。
 最近では、田舎の非電化路線に行っても、「電車」と呼ばれることが多いようで、私などには少々違和感がある。「列車」という言葉もあるが、これまた、ローカル線で1輛編成で走っているディーゼルカーを「列車=列(なら)べた車」と呼ぶのは、なんだか変な感じだ。もっとも運輸省の規則では、1輛でも列車と呼ぶことに決まっているようだが。
 大分話が逸れた。私が幼い頃好きだった「汽車」は、つまり蒸気機関車のことではなく、その頃の言葉遣いにおける「汽車」、つまり「鉄道車輛一般」と解していただきたい。
 母に連れられて買い物に行くと、私は玩具売場の床に寝そべって、汽車の玩具を走らせて喜んでいたという。

 男の子は、たいてい鉄道が好きだ。
 なぜそうなのか、分析しはじめると長くなりそうだから、やらない。しかし、
 「おれは鉄道なんかに興味はない。移動はもっぱらクルマだ」
とおっしゃる方も、よくよく考えていただきたい。子供の頃、汽車や電車に乗ってどこかへ行くことを、少しでも楽しまなかったろうか。たとえすぐ飽きてむずかりだしたにしても、汽笛が鳴って、駅から列車がすべり出す瞬間、わくわくするものを全く感じることがなかっただろうか。
 女の子のことは知らないが、もしそうした「わくわく」を全く感じられなかった男の子がいるとすれば、つまらない大人になるのではないかと、心配だ。余計なお世話だが。
 ともあれ、多くの男の子は鉄道が好きなのだが、そのうち他のことに興味を持ち出すと、半分くらいは関心がなくなる。そして、いつまでも汽車ポッポにうつつを抜かしている連中をバカにし始めたりする。最近の蔑称は「鉄道おたく」であり、対する鉄道ファン側は、やや軽い自嘲を込めて、「鉄ちゃん」と称している。
 しかし、中年以上の人たちの集まった酒席などで鉄道の話をすると、案外と間が持ったりして、心の底では結構みんな好きなのだなと思うことも少なくない。「鉄道おたく」をバカにする連中は、不正直なのか、羨望の裏返しか、どちらかに違いないと考えることにしている。

 一言に鉄道ファンといっても、実はいろいろな流派がある。
 いちばん多数派は、「車輛マニア」で、よく駅や峠などでカメラを構えているのはこの連中だ。巷の「鉄道雑誌」と称するものも、大半はこの派を対象に発行されている。
 車輛マニアの同類と考えられやすいのが「模型マニア」だが、この両者はほとんど重なっていないばかりか、お互い軽蔑しあっていたりする。模型マニアに言わせると、
 ――自分で車輛を動かすこともできなくて何が面白いんだ。
 ということになるし、車輛マニアに言わせると、
 ――部屋の中でちまちまと小さな偽物を動かしているなどせこい。本物の迫力には到底及びもつかない。
 ということになる。周囲から見れば、目糞が鼻糞を笑っているとしか思えないが、本人たちは大真面目である。
 このほか「収集マニア」というのもいて、列車のヘッドマーク、駅名票、レールのかけらなどを拾ったり貰ったり盗んだりしてきて莞爾とする。場所をとらないものとしては、切符コレクターもこれに属するだろう。
 以上はハード流というべきか。ソフト流もある。
 「時刻表マニア」という連中は、毎月時刻表を買っては、細かい異同を見つけて喜ぶ。白紙ダイヤ改正ともなると、彼らにとっては人生の大イベントである。また、この派の人々は、実際に旅に出なくてもよかったりする。部屋の中で、「紙上旅行」を楽しむという不可解な技を持っているのだ。
 「歴史派」どこの路線がいつ開通したとか、その敷設にあたってはどんな政争や軋轢があったかとか、そんな話題の生き字引のような人たち。鉄道ファンの中では、同行者としていちばん無難かもしれない。最近はこの分派というべき「廃線跡探索派」も市民権を得てきた。
 私自身は、ソフト流であるのは間違いないが、「時刻表マニア」と言うほどには徹底していない。中途半端に、いろんなことに興味がある。時刻表を読むのは好きだが、やはり自分で出かけたいと思う。歴史のことも知りたい。
 この雑文シリーズは、従ってそれぞれのディープなマニアから見れば、笑止千万な記述が多いと思うが、まあ軽く読み飛ばしていただければと思う。 

 ひとり旅が好きで、今でも年に数回、二三日の暇を見つけてはふらりと旅に出る。ほとんど計画など立てない。
 二三日しか暇がないし、前もって切符を買ったりもしないから、国内に限られる。
 海外旅行もいいが、日本国内にも、まだまだ面白いところは沢山あるのだなあと思うことが多い。
 「途中下車」は、そんな旅の想い出や、鉄道への愛着を、とりとめなく書いてゆきたいと思う。
 読んで下さる方が、自分もそこに行ってみたいな、などと思っていただけるような文章が書ければよいのだが。  

(1997.10.7.)


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