日本は広い。
不幸にも、何かと意識せざるを得ないアメリカ、中国、ロシア、オーストラリアなどといった国々が、やたらと面積が大きいため、なんとなく狭苦しい、せせこましい国土であるような気がするが、ヨーロッパの国と較べれば、日本より広いのは僅かにフランス・スペイン・スウェーデンの3ヶ国に過ぎない。
この3国といえども、例えばそれぞれの首都(パリ・マドリッド・ストックホルム)から朝、列車に乗ったとして、線路がつながっている限り、その日のうちに行き着けない場所などほとんどない。ところが、東京をいちばん早く、6時03分に出る東北新幹線の定期列車「やまびこ35号」に乗っても、札幌に着くのが18時42分、そこからどう乗り継いでも、稚内には翌日6時00分、網走には6時15分、根室には8時11分より早くたどり着くことはできない(平成9年10月現在)。飛行機で移動しているとわかりずらいが、日本はずいぶんと広い国なのである。
それだけではなく、非常に多様である。
単一民族の上に画一化、規格化が進んで、日本が多様であると言っても信じられないかもしれない。だが、この国土をよく見てゆくと、よくもこれだけの画一化・規格化に住民が堪えられるものだと思いたくなるほどにバラエティに富んでいる。
有名な話がある。1972年冬季オリンピックの開催地に札幌が選ばれた時、多くの人は信じなかったという。あんなところに雪など降るものかというのだ。
札幌の緯度はローマとほぼ同じで、ヨーロッパ人から見ると南国なのである。仙台とアテネがほぼ同じで、ここまで来るとイメージとしては陽光のぎらつく南方の楽園と言った感じになる。東京に至ってはテヘラン、アルジェ、カサブランカあたりとそう変わらない。ヨーロッパ人の眼で見ると、日本はほとんど全島が常夏の島のように思われるようだ。そこで冬季オリンピックができるというのは、驚きだったに違いない。
「文明は寒いところでしか発達しない」
と言う漠然とした信念が彼らにはあって、札幌オリンピックの時に日本にも雪が降ることを知って、はじめて高度経済成長に納得したという話もある。それまでは何やらいかがわしい魔法でも使ったように思われていたのだろう。
今度の長野オリンピックに至っては、もっと腑に落ちないかもしれない。
地図で見ると、東京と長野の間の距離は、ほんの僅かである。この両都市の気候が、全く違うのだと言われて、素直に納得するためには、よほどの想像力を必要とするのではないか。
日本の周りには、暖流の黒潮とその支流の対馬海流、寒流の親潮(千島海流)とリマン海流が複雑に取り巻いている。一方には巨大なユーラシア大陸、もう一方にはさらに巨大な太平洋を控えて、大陸性・海洋性両様の気候が入り交じる。さらには山が多く、特に雪雲というのは山に非常に弱くて、2000メートルそこそこの高度でさえ越えられないため、山のこっち側とあっち側とではまるで違ったことになる。それらの要因がからまりあって、実に複雑な気候を生み出しているのである。英国、ニュージーランド、マダガスカルといった、ほぼ同規模の島国を見ても、これほどに気候の多様性を備えたところはない。
気候が多様であれば、暮らしも多様になる。
旅の楽しさは、そういう多様性に触れることかもしれない。
なるべくなら、飛行機で上空をすっ飛んだり、新幹線や高速道路で突っ走ったりせず、鈍行列車やローカルバスで旅をしたいものだと思う。
今回も前フリのようになってしまったが、前回を読んで
「なんだ、旅と言っても、国内旅行か」
とがっかりされた方がおられるかもしれないので、国内旅行と言っても捨てたものではないよということを主張したくて、長々と駄弁を弄した次第。次回からはいよいよ旅立ちます。
(1997.10.14.)
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