千葉県右往左往 (2014.9.10.)

I

 2014年夏の青春18きっぷが1区画残っていましたが、有効期限が今日(9月10日)までです。無駄にしないために、出かけてくることにしました。
 まあ、このあいだの「大『環状線』の旅」の時に、ひとり1万円以上、ふたりだったので2万円以上の距離に乗ることができ、青春18きっぷの値段(11,850円)の元はとっくにとっているので、無駄にしても損ということにはならないのですが、それでも1区画残して期限切れになってしまうというのはなんとなく気分が悪いものですし、今日は幸いとりたてて用事もありませんでしたから、消化試合に出るにしても支障はありません。
 そんな理窟をこねるまでもなく、私は列車に乗っているのが好きなので、出かけられる日を虎視眈々と窺っていたというのが本当のところで、それがたまたま最終日の今日であったというだけの話です。
 さて、日帰りで鈍行旅行をしてくるとして、どこへ行こうか、と考えて、はたと困りました。
 時刻表の索引地図をつらつら眺めるに、日帰りで乗ってこられる主だったJR路線には、ここ数年ほどのあいだにほぼ乗り尽くしてしまった観があるのです。

 むろん私はずっと昔から乗り潰しを試みており、JR路線に限って言えば、九州以外はほとんど既乗となっています。ほとんど、と言ったのは山形新幹線にまだ乗ったことがないからで、在来線にはすべて乗りました。
 しかし、その中には高校時代に乗ってそれっきりというような路線もありますし、20年以上ご無沙汰というくらいのものならずいぶんたくさんあります。そういう路線にはまたいずれ乗り直してみたいと思っていますけれども、さしあたり自宅から日帰りで、鈍行だけで行ってこられる範囲となると、ほとんどが記憶に新しく、久しぶりに乗ってみようかというところがかなり少ないのです。
 小海線鹿島線には去年の夏乗ったし、飯山線にも水郡線にもついこのあいだ乗ったし、身延線は少し前になりますがそれでも4年前に過ぎないし……それより外のエリアになると、日帰りで鈍行だけで行ってくるのは困難です。例えば只見線飯田線にだったら乗ってきたいものですが、往復に新幹線などを使わざるを得なくなります。新幹線や特急を使うと、特急券のみならず運賃も別に払わなければならないのが青春18きっぷのルールですので、これはさすがに躊躇します。
 御殿場線伊東線にはしばらく乗っていませんし、青梅線の先端部分、五日市線鶴見線吾妻線の奥のほうなどもご無沙汰しています。ただそれらはどうも、発展性が乏しいというか、終点まで行ってそのまま帰ってこなくてはならないとか、他のご無沙汰路線とつなげづらいとか、あまり食指が動かないのでした。青春18きっぷでなくても良いんじゃないか、という気分がぬぐえません。
 考えた末に、千葉を乗り倒してやろうということに決めました。

 千葉県というのは、利根川江戸川により他の都県と完全に区切られていて、橋を渡らなければ出入りできないという点で、「離れ小島」などと揶揄されることがあります。
 それと同じく、JR路線の上でも、なんとなく他の地域からの独立性があるような気がします。いわゆる房総特急(「しおさい」「あやめ」「わかしお」「さざなみ」)は東京と千葉県内を結ぶだけで、他の県にはまったく無関係ですし(臨時列車は除く。また「あやめ」には茨城県内の鹿島神宮発着の便がありますが、現在は鹿島線内が普通列車扱いになっているので、特急として走るのは千葉県内だけです)、特急・普通を問わず使っている車輌が独特です。
 もちろん千葉県と言っても、常磐線も、武蔵野線も、京葉線もあるわけですが、イメージとしての千葉エリアというのは、千葉駅を要として扇のように拡がった、総武成田外房内房の各線とその支線群を指します。千葉駅を通らなければどこへも行けないという印象があります(実際には京葉線などでスルーできますが)。だから千葉駅より東京寄りの市川とか船橋とかは少し別という気もします。
 労働組合なんかも「千葉支社」は妙に独立性が強く、また独特な存在だったようで、国鉄がJRになっても「千葉動労」はいろいろと扱いが難しかったと聞きます。
 ともかく、千葉県内の路線というのは不思議な味があります。そして上記の4幹線の各線とも、「ご無沙汰」な区間が少しずつ残っていたので、それらをつないで乗るというのは、日帰りの鈍行旅行として悪くないプランかと思われました。

 内田百阿房列車シリーズに、「房総鼻眼鏡」という一篇があります。当時(昭和28年12月)は総武本線の東京ルートがまだ無く、房総へ向かう「列車」はすべて両国発着でした。百鬼園先生はここを起点に、総武線で銚子へ行き1泊、成田線で千葉へ戻って1泊、内房線(当時は「房総西線」)で安房鴨川へ行き1泊、外房線(当時は「房総東線」)で戻ってきて稲毛で1泊……のつもりがひどい宿だったので逃げ出して帰ってくるという、悠然たる旅行を愉しみました。その頃は房総には特急はおろか急行も準急も走っておらず、列車はいまよりもちろんずっと遅く、便数もはるかに少なかったでしょうが、それにしても百鬼園先生が3泊4日もかけて廻ったのと類似したルートを、一日のうちに廻ってきてしまうのだから、便利になったものだというかあわただしいものだというか。
 大体のルートはイメージしていましたが、今朝出かけられる時刻によっても違ってきそうなので、行程はファジーにしておき、とにかくできるだけ早く出ようと思いました。
 特に目覚まし時計もかけずに寝たのですが、幸い5時15分くらいに眼が醒め、朝の支度などを済ませて、6時5分前に家を出ました。駅へ向かう道にはもうけっこう人通りがあります。
 6時9分の京浜東北線電車で、まず日暮里へ向かいました。千葉エリアへは総武線経由にしろ京葉線経由にしろ、東京か秋葉原で乗り換えないと入れないような気がしますが、ひとつだけ例外があります。常磐線の我孫子で分岐している成田線です。成田線は総武線の佐倉から分岐し成田を経て銚子へ向かうのが本線と呼ぶべきルートですが、その他に我孫子と成田を結んでいる支線があります。かつては両方にまたがって運転する列車もありましたが、現在では完全に運行が分離され、支線のほうはむしろ常磐線とのつながりが強く、上野から直通の電車が走っていたりします。
 この成田支線には何年か前に乗ったのですが、その時は陽が暮れたあとだったので、車窓は全然見えませんでした。それで、千葉エリアへの進入路として、これを選んだのでした。
 日暮里でやってきたのは成田線直通ではなく、6時34分発の勝田行きの列車でした。朝の下りなのにけっこう混んでいます。
 この列車、不思議なことがひとつありました。松戸に着くと、プラットフォームをはさんだ隣に、緑帯の、通勤型の快速電車がすでに停まっているのです。見ると取手行きなので、同方向です。ところがその電車から、こちらの勝田行きに乗り換えてくる客がかなりたくさん居り、それらを収容すると、こちらの列車は取手行き快速をあとに残して先に発車してしまったのでした。常磐線の中距離列車は、かつては近郊型の快速電車より格上みたいなところがありましたが、現在では特別快速を除いて停車駅も同じになり、まったく同格となっています。その同格の電車同士で追い抜きをおこなうという、なんとも変なことが起こっていたのです。
 古くは山陽新幹線「ひかりを追い抜くひかり」が話題になったり、寝台特急「はやぶさ」を特急「つばめ」が追い越すなどという現象があったりしましたが、それらは実際には同格同士ではありません。山陽新幹線のは、途中から各駅停車になった「ひかり」を速達型の「ひかり」が追い抜いたというだけで、実質的には「こだま」を「ひかり」が抜くのとなんら変わりはありませんし、機関車牽引の寝台特急と最新鋭電車特急を同格と見なすのも無理があります。しかし、今朝の松戸駅の追い抜きは、本当に同格である快速同士が追い抜きをやっていたので、驚きました。
 我孫子では乗り換え時間が2分しか無かったので心配しましたが、同じプラットフォームで乗り継ぎができたので楽でした。乗った車輌には「15号車」の表示があり、15輌で成田線を走るのかと驚きましたが、実際には5輌編成でした。1〜10号車は我孫子までこの電車を併結してきて、ここで切り離して取手へ向かったものと思われます。
 常磐線と分かれるとすぐ単線となりますが、輸送量はかなり多いようで、私の乗った成田行きも立ち客が目立ちますし、すれ違う列車は10輌編成でも相当な混みかたになっていました。途中駅で客の入れ替わりはありますが、最後までさほど空くことなく、7時49分成田着。この線は部分的にでも複線化をするべきではないかという気がします。

 成田からは成田線本線に乗って銚子へ向かうつもりですが、30分ばかり時間があったので、改札を出て駅そばを食べました。どんより曇ってはいますが、雨模様ではありません。
 電車は青と黄色のライン、いわゆる房総色に塗られた209系です。長らく房総を支配してきたスカ色113系(昔の横須賀線を思い出してください)は、さすがに寄る年波に勝てず役目を終え、いまはこの209系が我が物顔に闊歩しています。今日一日乗り回していて、千葉エリアだけを走る普通列車としてはこれ以外の車輌は眼にしませんでした。ほぼすべてがこの車輌になったと考えて良いのでしょう。
 209系といえば、京浜東北線でもつい最近まで走っていた、「走ルンです」などと揶揄された簡素きわまる車輌ですが、私の乗った車輌は思いがけずセミクロスシートになっていました。飲み物置きのミニテーブルまで設置されています。すれ違う列車などもよく観察してみると、房総型209系(マニアは2000番台・2100番台と呼びます)はすべて4輌あるいは6輌の固定編成で、両端の車輌のみセミクロスシート、中間車輌はロングシートということになっていることがわかりました。去年この車輌に乗った時はロングシートばかりだったので残念に思いましたが、先頭もしくは後尾の車輌に乗らなかったのでしょう。
 それがわかったので、私は今日、このあともすべて先頭か後尾の車輌に乗るようにし、結果的にずっとボックスシートに乗っていることができました。1列車につき2輌だけとはいえ、JR東日本にしては感心感心、と思いました。それともやはり千葉支社カラーというものでしょうか。
 さて、成田線はひたすら利根川に沿って走る路線と言って良いでしょう。千葉県の北辺、昔ふうに言えば下総の国の北部を真横に突っ切るように走っています。ただし車窓から利根川の水面が見えるところはありません。土手だけなら滑河(なめがわ)のあたりで近づきます。
 どういうわけだか、成田線の駅の駅名板だけ、JR東日本お仕着せの緑線の入った白板ではなく、妙におしゃれなデザインになっています。全体のフレームも四隅を切り落としたなだらかな形になっていますし、駅名は藍色地に白抜き文字、隣駅表示はその反転になっており、花のカットが添えられています。字のフォントも上品な楷書体です。同じ千葉エリアでも、他の路線ではこんなしゃれた駅名板を使っていません。どういうつもりなのか、不思議に思いました。
 終点の銚子まで乗ってゆくつもりでしたが、ひとつ手前の松岸で下りることにします。というのは、成田線は松岸で総武線に再会し、銚子までひと駅乗り入れる形になっているのですけれども、次に乗るつもりだった総武線の上り電車が、この松岸で下りるとほとんど待たずに乗り換えられることがわかったからです。時刻表で見ると、乗ってきた成田線下り電車と、接続する総武線上り電車は両方とも9時44分になっていて、乗り換えは無理そうに見えるのですが、実は成田線はその3分前に到着して総武線を待っているのでした。同一プラットフォームの乗り換えでもあり、非常に便利なのです。
 銚子まで行ってしまうと、次の電車を1時間以上待たなければなりません。別に急ぐ道中でもないし、1時間くらい待っても良いとも言えますが、そうすると最後のほうが日暮れあとになってしまいそうで面白くありません。銚子には去年(2013年)来たばかりだし、別に足跡を記してこなくても良いかと思いきり、松岸で乗り換えてしまうことにしたわけです。

 成田線と総武線は、途中のルートが違うだけで同じところへ向かうし、両方とも下総の国の中だけを走るし、よく似た雰囲気を持っています。
 しかしながら、車窓の趣きは若干違うことに気がつきました。
 成田線の車窓は、基本的には田んぼです。そこかしこに雑木林があり、合間に民家がちらほらと建っている風景です。
 これに対し、総武線のほうは田んぼが少なめで、切り通しが多いせいか林や竹藪の中を走っているような気がする箇所が多いようです。また沿線に市、それも昨今の合併でできたわけではなく昔からの市がいくつもあるだけに、建物は成田線の車窓よりもずっと多くなっています。
 銚子〜成東間は、ここ数年中に2度ばかり乗っていますが、成東〜佐倉間の22キロばかりが「ご無沙汰」区間でした。そこを駆け抜けて、佐倉着11時10分。さきほどの成田駅からは13キロほどしか離れておらず、直行すれば12、3分で移動できるのですけれども、さっき成田を出てから2時間50分が経過しています。
 電車はそのまま千葉へ向かいます。後半の外房・内房めぐりをするためには千葉まで出なければなりませんので、私も乗ったまま終点へ。11時28分、千葉到着。

(2014.9.10.)

II

 9月10日(水)、残っていた青春18きっぷを使い切るべく、私は千葉県内のJR路線をうねくねと乗り回すことにして、我孫子から成田線に入り、銚子ひとつ手前の松岸総武線に乗り換えて千葉までやってきました。
 内田百阿房列車シリーズ「房総鼻眼鏡」になぞらえれば、眼鏡の玉の片方ができあがったわけです。まあ一部(佐倉成田間)つながっていないので、いささか危なっかしい鼻眼鏡ですが。
 千葉から、もうひとつの眼鏡の玉を形作るべく、外房線の電車に乗ることにします。今回、総武線・成田線・外房線・内房線と、千葉エリア内の幹線を乗り歩いているわけですが、この中で線区の全部を乗り潰すのは外房線だけです。総武線は、今回は千葉以西と末端の松岸〜銚子に乗っていませんし、成田線は上記のように佐倉〜成田を割愛しています。内房線についてはこのあとで触れますが、路線の半ばで途切れることになります。
 そして、電車の始発駅から終着駅まで全区間を乗り通すのも、この外房線電車の千葉〜安房鴨川だけです。最初の我孫子〜成田間電車は、ダイヤの上では全区間乗り通したことになりますが、号車番号が11〜15であったところを見ると、実際の運転は上野からだったと思われます。乗車時間も2時間11分と長くなっています。普通列車の長距離運転が激減した昨今としては、2時間11分という走行時間はけっこう長いほうに入るのではないでしょうか。

 千葉という駅は、いつ訪れても工事中という印象があります。いまも通路を何か変えようとしているようで、そこらじゅうに防護シートが張られて歩きづらいことおびただしいのでした。
 次に乗る安房鴨川行き電車は、12時10分発です。40分近くあるので、どこかで昼食を食べても良いのですが、少し早い気がするのと、さっきから便意を覚えていたため、とにかくまずは上厠しようと思いました。駅の中のトイレは敬遠し、改札を出て、すぐ左側のガード下にできているおしゃれっぽいショッピングモールのトイレに行ったら、清潔だし、シトラス系の香料の匂いがするし、落ち着いて用が足せました。
 しかし用を足し終わると、もう11時45分くらいになっていました。トイレが長かったというわけではなく、青春18きっぷなので有人改札を通る必要があり、そこで揉めている人が居て若干待たされたのが主要因です。
 もうどこかの店に入って食べるのは無理と判断し、とりあえず近くのコンビニでお茶と少しばかりの食糧を買い込んで駅に戻りました。そうしたら、外房線のプラットフォームの下に駅弁屋があり、つい「菜の花弁当」を買ってしまいました。600円だったので駅弁としては安いほうなのですが、内容は鶏挽肉と卵のそぼろご飯(この卵を菜の花に見立てている)に、アサリの佃煮ひと串と漬物が添えられただけの弁当で、400円くらいでもいいんじゃないかと思ってしまいました。
 外房線電車はけっこう客が多く、千葉を出た時には立ち客も居ました。私はまた先頭車輌のボックスシートに陣取っていましたが、独占しているわけにはゆきません。相客が居ると駅弁も食べにくいものがあって、大網を過ぎてボックス独占状態になるまで待たなければなりませんでした。
 大網は東金線との接続駅です。線路が分岐してから駅になっているので、外房線と東金線の乗り場はかなり離れています。そのせいか、外房線には東金線直通の電車がけっこう走っているのですが、直通でない時でも外房線の下り電車からは乗り換えが楽なように、わりに近い地点で直結通路が設置されていることに今日はじめて気づきました。これに対し、上りの外房線と東金線を乗り換えるのはかなり骨が折れます。
 東金線は14キロ弱の短い路線で、終点の成東までは20分ほどです。私がさっき成東を通ったのは10時40分頃でしたから、この大網まで約2時間かかっていることになります。今回のように「最長一筆書き」みたいなルートで旅をしていると、しばしばこういうことが起こります。
 「菜の花弁当」を食べ終わると、間もなく茂原。高架になった近代的な駅で、駅前も賑やかそうな街になっています。
 そのふたつ先の上総一ノ宮までが東京近郊区間と呼ぶべきでしょうか。横須賀線から乗り入れてくる「総武線快速」や、京葉線快速の乗り入れもここまでで、上総一ノ宮以遠はがくんと列車の本数が減ります。内房線の場合は君津がそれにあたります。
 この先は線路も、部分的に複線になっているところはありますが基本的には単線となり、少数ですが片面駅なども現れます。
 やがて、いすみ鉄道の分岐駅である大原に着きます。去年、小湊鐵道からいすみ鉄道に乗り継いで大原に着いた時は、大きな街であるように感じたものでしたが、千葉側からやってくるとなんともひなびた駅前に見えます。人間の感覚などいい加減なものだと思います。
 御宿を過ぎると、にわかに地勢が険しくなってくるように感じられました。山が海岸に近づいてきたのでしょう、トンネルが目立つようになります。そして、線路自体が海岸近くに押しつけられてくるため、この先は眼下いっぱいに海を眺められるところが多くなります。
 千葉県は昔で言えば下総上総安房の三ヶ国にあたりますが(ただし下総は隅田川以東なので、一部は東京都)、ごく大雑把に言って、下総は平地が多く水郷が目立つイメージ、上総は丘陵地帯のイメージ、そして安房は峻険な山地と海岸のイメージというところです。山の高さは、千葉県最高峰の愛宕山がわずか408.2メートルであることでわかるとおり、さほどのこともないのですが、山高きがゆえに尊からずで、県南部に実際に行ってみると意外なほどの山深さに驚きます。
 外房線で上総と安房の国境近くにある駅が行川(なめがわ)アイランドで、以前は同名の遊園地がありました。記憶を繰ってみると、私は小学生の頃に確かに行川アイランドに連れてこられたことがあったはずです。片面駅であったことも憶えています。停車する特急もありました。
 いかんせん場所が不便すぎ、年々入場者が少なくなり、2001年に閉園になってしまいました。閉園になっても駅名はそのままで、駅も無人になったとはいえまだ生きています。しかし、車窓から見る限りにおいては周囲にはほとんど何も無く、遊園地のためだけの駅だったらしいと想像できます。実際、閉園した時には駅の廃止も取り沙汰されたようです。
 その隣の安房小湊からが安房の国で、小湊鐵道という会社は本来ここまで線路を敷く予定で社名もつけたのでした。鉄道敷設はすでに戦前に断念されていましたが、かろうじて、東京駅・浜松町駅からの高速バスがここまで来ており、京成バス・鴨川日東バスと共同で小湊鐵道が運行しています。せめてもの夢の残滓という感じです。

 安房鴨川着14時21分。途中から降りはじめていた雨が、かなり大降りになってきました。この日は東京都内で相当な豪雨があり、いくつか電車が止まったりもしたようでしたが、幸い千葉県内ではそこまでの事態には至らず、私は電車に乗ったままやり過ごせました。
 安房鴨川駅の改札口には熱帯魚の水槽があると聞いていたので、ちょっと見てみたかったのですけれども、あいにくと5分後に内房線の列車が出てしまいます。千葉県内の普通列車同士の接続というのは必ずしも良くないのですが、ここはいやに便が良いのでした。まあ、線名こそここで変わりますが、安房鴨川は形態としては終着駅というよりも、1本の路線の途中駅という印象が強い駅ですので、ダイヤ作成もそういうつもりでやっているのかもしれません。
 電化される以前は、安房鴨川をスルーして内房線と外房線にまたがって走る列車がいくらもありましたし、千葉から出て房総半島を一周して千葉に戻る、いわゆる循環運転をおこなう急行なども走っていました。現在はここで電流の向きが変わってしまうのでスルー運転はできません。交流電化であれば可能だったのですが、直流よりお金がかかることでもあり、そこまでしてスルー運転させる必要も無いという判断でしょう。
 改札口にはゆかず、トイレで小用を足してすぐに内房線電車に乗り継ぎました。
 しばらく走ると、雨が上がって陽が差してきました。私は進行右側に坐っていたのですが、そこへ太陽がガラス越しに照りつけます。15時前ですから、まだ太陽は南をそう離れていないはずです。それが右側から差しこむということは、電車は東から東北東くらいの向きに走っていることになります。
 私は少々混乱しました。どうも、外房線と内房線の切り替わりということで、安房鴨川が房総半島の尖端にあるような気がしていたようです。そうであれば内房線の上り電車は、西に向かわないとおかしいことになります。また時刻表の索引地図がそのように見える描画だったので勘違いしたのでしょう。帰ってからちゃんとした地図で確認すると、安房鴨川はまだ外房海岸の途中であり、館山まではさらに南下してゆくのであって、その途中で地形の関係により線路が東に向かうということもあるらしいのでした。路線名称など便宜的につけられるものであることは理解していますが、地形的に正確を期すならば、外房線と内房線の境目は千倉か館山であるべきかもしれません。
 この辺は内房線の「ご無沙汰区間」であって、たぶん以前乗ったのは学生時代頃ではなかったかと思います。内房線は、岩井までは合唱団の合宿などでその後も訪れたことがありましたが、それ以南は本当に久しぶりです。
 それなのに、陽が差してきて駘蕩とした空気になったせいか、とろとろと居眠りをしてしまいました。朝が5時15分起きとえらく早かったためもあります。内房線は木更津あたりまでは沿線がほぼ都市化して忙しい路線ですが、このあたりの末端部分はローカル線気分にあふれ、とてものんびりした気持ちになるのでした。

 このまま乗っていれば17時09分に千葉に戻るのですが、私は内房線のほぼ真ん中にあたる浜金谷で列車を下りました。ここまで来たついでに、もうひとつ「ご無沙汰区間」に乗ってから帰ろうと思ったのです。
 それは、横須賀線の末端部分。横須賀久里浜という2駅間にはしばらく乗っていません。
 浜金谷と久里浜のあいだには、東京湾フェリーが運航されています。いままで数回乗ったことがありますが、このフェリーもまた「ご無沙汰区間」です。千葉まで行ってそのまま帰るのもつまらないので、青春18きっぷの範囲から外れますが、乗ってゆこうと考えた次第です。
 大雨が降っている時は、フェリーが欠航になったらどうしようかと心配しましたが、すっかり晴れて、風も特にありません。
 駅から桟橋までは徒歩7分ほどです。国道を歩く道と、人家のあいだを歩く道があり、私は迷わず後者のルートで桟橋に向かいました。
 この金谷港から出ている定期航路は東京湾フェリーだけだと思うのですが、かなり大きな港になっています。広壮な展望レストランなども建っています。不定期に立ち寄る船などもけっこうあるのかもしれません。
 東京湾フェリーはだいたい1時間に1便ずつくらい双方向に出ているので、便利です。アクアラインができて利用者が少なくなり、便数が減らされたのではないかと心配していましたが、それほどでもなかったようです。木更津と川崎を結ぶアクアラインと、この東京湾フェリーとでは、利用者はそんなにかぶらないのかもしれません。次の便は16時30分でした。
 フェリーの乗り場に併設されている土産物屋をしばらくうろついてから改札口に行くと、思ったより長い行列ができていたので意外に思いました。平日の午後の便などがら空きであろうと思っていたのです。
 私のあとからも、どんどん列が伸びてゆきます。見ると、大半の人がゴルフバッグを抱えています。
 船の昇降口近くにゴルフバッグ置き場があって、みんなそこにバッグを置いてゆきます。何やら大変な数になりそうな勢いでした。
 客室も、けっこう広いのですが、最終的にはかなり席が埋まりました。何か大きなゴルフコンペでもあったのでしょうか。ゴルファーでない身がかえって場違いで居たたまれないような、そんな気分になるほどのゴルファー率でした。
 東京湾の入口を横断するみたいな航路ですので、湾を出入りする数多くの船舶と行き会います。時にはまっすぐ進めば衝突しかねないような位置関係になることもあり、フェリーはかなり細かく航路を微調整しているようでした。いちど、かなり大きい船の後方を迂回することがあり、
 「あ〜、こんなに迂回してちゃ、久里浜到着はだいぶ遅れるんじゃないか」
 という声が上がっていました。
 実際には、そういう迂回分もちゃんと計算に入っているようで、定刻きっかりの17時10分、三浦半島は久里浜港に入港しました。40分の船旅です。

 久里浜港からは京急久里浜駅までの連絡バスが出ています。ゴルファー軍団は幸いそれには乗らないようで、ラッシュ状態になることなく発車しました。
 10分ばかりで京急久里浜駅に到着します。かなり大きな駅ビルがあり、駅前のロータリーも相当規模のバスターミナルになっていました。
 しかし、私が乗るのは京急ではなく、JR横須賀線です。
 JRの久里浜駅は、京急久里浜駅ビルの裏側に出て、少し歩いたところにひっそりと建っていました。駅前ロータリーは京急久里浜に負けないくらい大きいのですが、こちらはバスターミナルも無く、ただ空き地になっているというだけの趣きで、場末の雰囲気が否めません。
 駅舎も薄暗い感じだし、プラットフォームも古びています。停まっている電車だけは、11輌編成という堂々たるもので、「成田空港」という行き先表示も偉そうです。
 房総をまわってきたいままでの経験から、つい最後尾の車輌まで歩いてゆきましたが、この列車は残念ながらグリーン車以外オールロングシートでした。
 夕方の上り電車なのに、駅ごとにどんどん乗客が増えるので驚きました。横須賀からは立ち客も出始めます。この路線の乗客動態はどういうことになっているのかと思いました。むしろ横浜あたりから横須賀近辺まで勤めに来ているというような人も多いのかもしれません。
 大船に着く頃には、ほとんどラッシュに近いくらいの混雑度になっていました。
 実は、逗子湘南新宿ラインに乗り換えるつもりでした。赤羽までそのまま帰ってこられます。横須賀線は、連結車輌数の関係で、逗子で運転が分離していることが多いというイメージも持っていました。思いがけず久里浜で成田空港行きの列車に乗れたので、あらためて時刻表を調べてみると、逗子から湘南新宿ラインに乗ろうとすると、30分あまりも待たなければならないことがわかりました。そのくらいなら、大船で乗り換えたほうが良いと判断したのでした。
 そして、逗子からは本日最後のゼイタクとして、グリーン車に乗ろうと考えていたのでした。それが大船乗り換えになって、どうも微妙な感じです。安からぬグリーン料金を払うのであれば、それなりの距離を乗らないともったいないのですが、大船〜赤羽というのは、ちょっと近すぎるかな、と思える距離です。
 しかし、逗子からグリーン車という頭が残っていたのと、今回思いもかけずずっとクロスシートに乗れたので、最終ランナー(厳密には赤羽〜川口の京浜東北線が最終ですが)がロングシートというのがちょっと締まらないような気がしたのとで、ついついプラットフォームのグリーン券登録機にSUICAを当ててしまったのでした。

 川口駅に着いたのは19時40分頃でした。13時間半ほど列車に乗り続けてきたことになります。
 今回のJR乗車距離は、営業キロにして449.5キロ、普通に運賃を払えば7340円かかる道のりでした。東京から東海道本線に乗れば米原を過ぎるくらいです。青春18きっぷのコストパフォーマンスから言えば3倍以上乗ったわけで、まあまあ有効活用できたと思います。

(2014.9.11.)


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