III
●ジンギスカンと花火● 札幌に着いてから降っていた雨は、2015年7月19日(日)の演奏会がはじまる頃には上がっていました。おかげで、
──朝に降っていた雨が上がったあとの催し物には客がたくさん入る。
というイベント運営の原則どおり、演奏会は大入りでした。朝から晴れていると、人々は別のところへ出かけてしまうことがあるし、ずっと降り続いていると、出かけるのが億劫になるので、特に無料ないし廉価なイベントの場合は上の傾向が顕著に見られるとされています。これが5千円、1万円という高額な入場料のイベントであれば、別用を入れることもあまり無いし、雨が降っていても出かけるのをやめたりはしないので、天候による変動は少ないのですが。
翌20日(月)の朝は、曇ってはいましたが雨の気配はありませんでした。
この日は3夜を過ごした宿をチェックアウトし、いくらか買い物などをしたのち、札幌在住の親戚たちと昼食会をおこないました。母が札幌の出で、その両親である私の祖父母はもう亡くなりましたが、母のきょうだいたちはみんな健在で札幌に住んでいます。前日の演奏会には聴きに来てくれました。ただし彼らの子供、つまり私のイトコたちは来ていません。イトコのひとりは合唱マニアでもあり、マダムのSNS仲間でもあるのですが、当日は他の合唱イベントでよそへ行っていたそうです。
今回の演奏会に合わせて母も帰郷していたので、5人のきょうだいが揃うことになりました。同じ市内に居ても、法事などでもないとなかなか顔を合わせることも無いようで、良い機会が持てたと叔母たちからかえって感謝されてしまいました。
さて、親戚たちと別れたあと、16時10分の道南バスで札幌を後にします。あと何回か泊まりを重ねながら帰るつもりです。まずは洞爺湖に向かいます。
洞爺湖は2007年のG8サミットがおこなわれた土地で、会議場になったのがザ・ウィンザーホテル洞爺でした。マダムがこのリゾートホテルに泊まりたがったのですが、1泊1名5万円よりというようなクラスであり、とても手が出ません。ここのレストランの、生花を使ったサラダが食べてみたかったようですけれども、それも単品で5000円はするし、それを含めたランチなりディナーなりのコースとなるとそれだけでひとり3万円くらいは飛んでしまいます。私程度の収入の者にとっては、生涯にいちど奮発できれば良いほうでしょう。
とはいえ、洞爺湖には他に多くの宿があるし、ウィンザーホテルは無理にしても、洞爺湖温泉郷で一泊するのは行程として悪くありません。そのあたりで探して、ジンギスカン鍋つきの料理を供する宿を見つけ、予約しておきました。マダムはジンギスカン鍋が好きで、食べたあとはいつも体調が良いと言っています。羊肉には、豚肉や牛肉の何倍ものL-カルニチンが含まれていて、この物質は体内の脂肪燃焼を促進し、ダイエットに大いに寄与するんだそうです。それで、札幌でもジンギスカン食べ放題の店に行くつもりだったのですが、マダムの体調が良くなくて断念したことは前稿で書きました。
洞爺湖の宿のジンギスカン鍋はさすがに食べ放題ではありませんが、それなりの分量のラム肉がつき、宿泊料もリーズナブルなので、迷わず押さえたのでした。
札幌から洞爺湖温泉までの直通バスは1日4往復、2時間40〜50分ほどかかります。
バスは定山渓を抜けて、中山峠を越える道を辿りました。
中山峠では15分ほどの休憩が置かれました。ここの茶店の揚げじゃがいもが名物で、私は中山峠を通ることがあると必ず買い求めています。しかし今回は、夕食に差し支えるかもしれないと思って躊躇しました。
ところがマダムがあっさりと、食べたいと言い出しました。何かというとダイエットを口にするわりには、食べることには目がない人なのでした。まあふたりで1串くらいなら良いかと思って、買い求めて外のベンチに坐って食べました。
喜茂別の町を通り抜け、近年名が上がっているルスツリゾートを過ぎて、ひと山越えると洞爺湖が見えてきます。
このあたりは廃止された胆振線の沿線で、存命(?)中にもう少しリゾート開発が進んでいて、そこへのアクセスを重視したダイヤ編成をおこなっていれば、廃止の憂き目を見なくとも良かったのではないかという気がします。実は特定地方交通線(廃止対象路線)を選定する期間に有珠山の噴火があり、胆振線は火山灰の除去作業のために経費がかかって大変な赤字になってしまったのです。選定は、そういう特殊事情もまったく考慮しないでおこなわれました。当時の国鉄の財政は、特殊事情などと言い出してはきりがない状況であったのも事実ですし、たとえ火山灰が無くとも胆振線が赤字線であることには変わりはありませんでした。それにしても「特定」でないただの「地方交通線」にひっかかって存続していれば、JRになってからいろいろやりようがあったのではないかと思えてならないのでした。なにしろ北海道新幹線は胆振線の起点であった倶知安も通る予定なのです。新幹線に接続する「快速ルスツライナー」でも走らせれば、ルスツリゾートも活性化するし、胆振線も息を吹き返したかもしれません。
バスは一旦洞爺湖畔に出たと思ったら、再び山のほうへ入ってゆき、しばらく高原地帯を走ってからもういちど湖畔に下りました。最初に下りたのは北岸の「洞爺水の駅」であり、洞爺湖温泉郷はあとで下りた南岸にあるのでした。そしてウィンザーホテルは西岸の高台にあったらしく、そもそも公共交通機関で行く手段は無かったようです。JR洞爺駅などから送迎バスを走らせているのでした。
洞爺湖温泉のバスターミナルは、なんとなく見覚えがあります。洞爺湖には何度か来たことがありますが、たいてい親戚の運転するクルマに乗ってきており、バスで来た憶えはありません。それなのに、なんだかわりあい最近、このバスターミナルの建物を見たような気がするのです。
ともあれ、バスターミナルの入り口のところに貼られていた、ホテルの位置などを示した地図を見てみました。しかし、私たちが泊まろうとしているホテルの名前はありませんでした。電話をかけて道順を訊いてみると、一本隣の通りに出ればすぐわかるとのことでした。さほど大きくない宿なので、バスターミナルからは見えなかったのです。
フロントにはヒゲを生やしたマスターが居て、なんとなくホテルというよりもペンションの雰囲気がありました。部屋にあった案内を読むと、わりと古くからある旅館の別館で、本当にペンションのイメージで経営しているらしいのでした。
安いプランということで、狭めの部屋を予約していたのですが、やりくりがついたようで、同じ料金で普通の部屋に案内されました。札幌の宿が狭苦しかったので、ここでひと息ついた気分です。
200グラムの肉というのはけっこう食べでがありました。考えてみればときどき食べに行っているうちの近くのステーキハウスで頼む肉は、150グラムか130グラムかそこらです。副菜の差などはありますが、食べでがあったのも当然なのでした。
21時近くなってから、湖上で花火を打ち上げるというので、湖畔の遊歩道まで行って見物しました。この日だけではなく、夏のあいだ毎日打ち上げているそうです。思ったより本格的な花火なので驚きました。打ち上げ花火は一発10万円くらいかかると聞いたことがあります。
湖上を進む船の上から打ち上げているらしく、見える方向は刻々と変わりました。なかなか見事なものでした。
それにしても、実はマダムもそうでしたが、こういうものを見てすぐに「写メ」しようとする手合いがそこらじゅうに居て、ほとほとあきれます。花火の写真など、よほど熟練したカメラマンでないと満足に撮れるはずがありませんし、携帯電話やスマホの液晶画面を覗いている間に次のが打ち上がってしまい、せっかく広々とした夜空に散った光の饗宴を堪能することがほとんどできなくなります。花火のようないわば瞬間の芸術は、まさに瞬間として愉しめば良いので、それを素人が写真に撮って残そうなどという根性がそもそも間違っていると私は思います。いかがなものでしょうか。
ところでこの「毎日の花火大会」を見て、先ほど着いたバスターミナルの既視感の理由がわかりました。去年の秋に放映していたアニメ「天体(そら)のメソッド」の舞台がここだったのです。少し名前を変えて「霧弥湖」としていましたが、描写は明らかに洞爺湖で、物語の中では湖の上空にUFOが居坐ってしまい、名物の花火が中止されて久しいという設定になっていました。
主人公の中学生たちは、バスに乗って都会にある学校に通っていたようで、私は札幌だとばかり思っていたのですが、2時間40〜50分もかかる1日4往復だけのバスでは通学には使えそうもありません。もっと近い室蘭だったのかもしれません。ともかくそんなわけで、洞爺湖のバスターミナルがしょっちゅう映されていたのです。既視感の元は、アニメだったのでした。 ●洗濯と寿司● 宿の泊まり客も、花火の見物客も、中国人や韓国人らしいグループが多く、むしろ日本人より多いんじゃないかと思えんばかりでした。しかし宿の地下にある温泉に漬かりに行ったときは、彼らは居ませんでした。と言うより、私はチェックアウトするまで3回入浴しましたが、いつもほとんど貸し切り状態でした。みんなで広い風呂に漬かるという文化が、まだあまり無いのかもしれません。 翌21日(火)の午前中は、大きな荷物は宿で預かって貰い、遊覧船に乗りました。湖の遊覧船としては、所要時間が60分近くで、かなり長いほうです。周航ルートのちょうど半ば頃、中ノ島のひとつ大島の桟橋に一旦着け、客の積み下ろしをしていました。大島には森林博物館があり、また桟橋近くでバーベキューを食べられるのでした。 この大島、3000年ほど前と思われる遺跡が発見されているそうです。広い湖の中の小島なので防衛には都合良かったでしょうが、この島だけで生活が成り立っていたのだろうかと不思議に思えます。 バーベキューはともかく、森林博物館にはちょっと惹かれるものがありましたが、時間に余裕が無くなりそうだったので、下船せずにそのまま元の桟橋に戻ってきました。 このあたりにはもうひとつ観光として、有珠山のロープウェイというのもあるのですが、そちらも割愛しました。時間のこともありますが、雲行きが怪しく、また雨が落ちてきそうだったのです。
土産物屋に立ち寄り、それから温泉通りのホテルの喫茶室でお茶を飲んで、宿に預けた荷物をピックアップして、バスターミナルに向かいました。そろそろ雨がぽつぽつ落ちはじめており、バスを待つあいだに大降りになってきました。
バスに乗る前に昼食も済ませるつもりだったのですが、時間が無くなり、洞爺駅に着いてから駅弁でも買うことにしました。
待合室の駅弁売りのところへ行くと、なんと5種類ほどある弁当がことごとく売り切れでした。ただ、1個ずつくらいだったら列車が出るまでに作ってこられるというので、「かにめし」と「鮭めし」を頼みました。駅弁売りのおじさんは向こうの階段を昇ってどこかへ行ってしまい、私たちが乗る特急「スーパー北斗10号」の発車10分ほど前になって、ポリ袋を提げて戻ってきました。まだ温かい弁当を手渡されてプラットフォームに出ました。
噴火湾沿いに走る室蘭本線の車窓は、本来ならなかなか風光明媚なのですが、雨が降ってどんよりとした空の下では、対岸の渡島半島も見えず、鉛色の海が拡がっているばかりです。
発車して間もなく弁当を拡げましたが、「かにめし」も「鮭めし」も実がたっぷりしていて満足しました。
4つめに通過した小幌という駅があります。ふたつのトンネルにはさまれていて、クルマが駅前まで乗りつけることができず不便なため、普通列車でも通過してしまう便が多いのですが、近々ついに廃止されることが決まったそうです。前に廃止された張碓駅なども同様ですが、北海道ではクルマと連繋できないところはどんどん寂れてしまうようです。
長万部を出て渡島半島側に渡っても、天気は変わりません。沈鬱な空の下を1時間40分ほど走り続けて、函館に到着しました。
函館で一泊することにしたのは、次の行程の都合です。下北半島の大間というところへ船で渡るつもりで、その船は1日3往復しかありません。最終便には間に合うのですが、大間到着が21時くらいになってしまい、それから投宿したりするのも面倒なので、函館で泊まって翌朝の便に乗ることにしたのでした。
函館でとった宿は松風町にあるので駅からは少し離れています。雨は上がりかけていましたが、スーツケースをころがしながら歩くのは少々難儀でした。しかしこの宿は大手ビジネスホテルチェーンの一軒であり、アメニティが充実していることで知られています。私たちにとってありがたいのは、まず確実に洗濯室が備わっていることでした。倍以上の宿泊料をとられていた札幌の宿にはそれが無く、洞爺湖の宿にも無く、ようやく汚れ物を洗濯することができます。
すでに旅立ち以来6日を経過しており、そろそろ洗濯しないと着る服が足りなくなりそうでした。今回の北海道は雨模様で思った以上に蒸し暑く、マダムも私もすぐ汗ばんでしまって、予想外に着替えをしなければならなかったのでした。
おまけに札幌の宿の浴室で手洗いした下着のたぐいが、3泊も干しておいたのに全然乾かず、湿ったままスーツケースに詰めてきたので異様な臭気が漂いはじめています。
一旦部屋に落ち着いてから、私たちは大量の洗濯物を抱えて階下の洗濯室へ行きました。1回で洗い尽くせるだろうかと不安になったほどの量でした。
洗濯物の中には「ネット使用」と洗濯表示がされているものも少なからずありましたが、洗濯ネットは札幌の百均ショップで買った1枚があるばかりでした。構わず片端から放り込みます。
ありがたいことに洗剤が無料になっていたので、洗濯機の使用料30分100円也を投入しただけで済みました。
30分待って再び洗濯室に行き、今度は乾燥機です。乾燥機も100円で30分使えるようでした。
「30分くらいじゃ絶対乾かないから」
とマダムが強調しました。
「1時間でもまず無理。うちの実家のなんか2時間かけてもまだ乾ききってなかったし」
マダムはフランスに留学中、コインランドリーを使う機会が多かったので、乾燥機については権威のような口をききます。私はというと、実はこれまでの生涯で、乾燥機など使ったことがほとんどありません。うちの洗濯機には「風乾燥」という機能が備わっているのですが、一度も使ったことがないのでした。それでマダムの言に従い、と言ってさすがに2時間廻し続ける気もせず、1時間分のコインを投入しました。マダムは、無理だと思うけど、という顔をしました。まあ、1時間やってみて乾いていなかったら、もう少し追加すれば良いと思います。
ちょっと買い物に出て、1時間後にまた洗濯室に行き、乾燥機の中から洗濯物を回収しました。
若干生乾きかと思えるような服も1、2枚ありましたが、ほとんどはカラカラに乾いていました。マダムは意外そうに、
「日本の機械ってやっぱり優秀なんだねえ」
と述懐しました。フランスでは1時間廻してもあんまり乾かなかったそうです。
ただ、札幌の宿で干しておいて異臭のついた下着は、乾いてはいたもののわずかに異臭が残っているようでした。下着など洗わないほうがましだったかもしれません。
函館では寿司を食べるつもりでした。8年ほど前、祖母の一周忌の法事で札幌へ行った際、帰りに函館に立ち寄り、マダムが往路の飛行機内の雑誌に広告の出ていた寿司屋へ行きたがったので行ってみたら、なかなか良かったので、再訪することにしたのでした。
もっともその時は、夕食後に函館山に登って夜景を眺める予定で、その寿司屋はいわば通り道だったので都合が良かったのですが、松風町に宿をとっている今回は、探せばもっと近くに、もっと安くてうまい寿司屋があったと思います。わざわざ十字街近くのその店に出かけることもなかったようなものですが、その寿司屋はいくつかの飲食店がまとまっている一角にあって、その一角には足湯があるというのがマダムの押しポイントなのでした。
マダムは足湯が好きで、どこかへ出かけて足湯があれば、有料でない限り必ず漬かりたがります。洞爺湖にも足湯があって、遊覧船に乗ったあとに漬かるのをマダムは楽しみにしていたのですが、なんと朝になると湯が抜かれてしまっていました。その怨念があるので、函館では絶対に足湯に漬かること、当たるべからざる勢いなのでした。
松風町から市電に乗って4区間ほど、目当ての寿司屋に着くと、待っている客が多くて、私たちは8番目くらいになるようです。マダムは待ち時間のあいだに足湯に漬かってくると外へ出て行きました。
ところが、待ちくたびれて諦めた客も居たようだし、人数の関係もあったのか、意外と早く名前を呼ばれました。マダムが足湯を充分に堪能できたかどうかわかりません。
ふだんあんまり寿司屋で注文しない、ここならではというネタを中心に食べ、店を出ました。
まだ21時を少し過ぎたくらいでしたが、通りは寝静まった感じです。市電も21時台になると便数が激減しています。まあ、地方都市の常で、表通りはずいぶん早い時間に寝静まったようになるものの、ちょっと横丁へ入って居酒屋の扉でも開ければ、地元の客で案外賑わっていたりするのですが、よそ者にはなかなかわかりません。
宿には「天然温泉」がついていたので、入浴しました。男女の別が無く、時間で分けているので、マダムは夕方に入浴していたのでした。
函館に来ても、洗濯をして寿司屋へ行っただけで、外人墓地にも行かなければ夜景も見ませんでしたが、まあこんな日があっても良さそうです。
明朝の大間への船は9時10分。出発するフェリーターミナルは少し離れていて、駅前からシャトルバスが出ています。そのバスの便は8時10分なので、朝はわりとあわただしくなりそうです。早めに寝ることにいたします。
(2015.7.26.)
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