青春18日帰り大周遊 (2017.8.20.)

I

 2017年8月15〜16日の墓参行に出かけたときの青春18きっぷが1枠残っていました。
 5枠あるうち、マダムと私のふたりで2日間、計4枠使ってあったわけです。
 その2日間、どうもあまり青春18きっぷを充分に活用した気がしませんでした。特に16日は、高崎から川口に帰ってくる際に使っただけなので、完全に採算割れです。青春18きっぷは11850円なので、1枠分にすると2370円の運賃に相当する営業距離を乗らないと元が取れません。JRの本州3社の幹線系なら141キロ以上、地方交通線系でも129キロ以上乗る必要があります。
 なんだか悔しいので、残った1枠で、できる限り長距離を乗って来ようと考えました。
 東海道線の初発電車(東京発5時20分)に乗って、ひたすら普通列車(快速等含む)で西へ西へと走り続けると、その日のうちに厚狭まで到達できます(23時58分)。下関の少し手前ですね。しかしこれだと片道になってしまい、帰ってくるのに日数と交通費を要します。ちなみに厚狭を初発に乗ってもその日のうちに東京まで帰り着くことはできません。
 途中で折り返して、その日のうちに東京まで帰ってくるのであれば、高槻までは行くことができます。
 しかしまあ、これは時刻表上での遊びであって、自分の好みとしては往復運転ではなく、ぐるりと周回ルートで旅してきたいと思います。そしてできれば、あまり帰りが遅くならないほうが好ましいところです。帰宅を遅くしたくないと言うより、陽が暮れてしまうと車窓が見えなくなって面白くないからです。

 そういう条件をつけてみると、意外と選択肢が限られることがわかりました。まずJRの在来線のみで周回ルートになるところが案外とありません。東海道線方面だと、飯田線を乗り潰して中央線で帰ってくるというプランが考えられますが、これは帰り道がほぼ夜になってしまいます。逆ルートでも同様です。
 中央線で長野方面に向かうと、今度はJRで周回ルートを作るのが困難になります。以前、同じような事情で小海線に乗ったことがありますが、その先はしなの鉄道に乗らざるを得ませんでした。篠ノ井線でも同様になりますし、大糸線でもえちごトキめき鉄道に乗り継ぐはめになります。
 千葉県内を動くというのも面白いのですが、わりに最近やりましたし、それに乗車距離が少々物足りない気がします。
 少なくとも主要部分は明るいうちに乗り通すことができて、なるべく乗車距離が長く、JRの普通列車だけで完結する周回ルート……ということで、私が発見したのは、高崎線上越線信越線磐越西線東北線と乗り継いでくるプランでした。これだと乗車距離は689.4キロ、運賃にして10150円となり、ほとんど青春18きっぷそのものに匹敵するくらいです。東海道線を西に行けば姫路の先の上郡あたりまでに相当します。
 高崎線の初発電車(上野発5時13分、私が乗るのは浦和からなので5時32分)に乗れば、なぜか途中の乗り継ぎが妙に好都合であることが多く、19時過ぎには帰ってこられることがわかったのでした。いまの季節なら陽が暮れて間もなく帰り着くくらいです。
 経由する路線はすべて幹線系ですが、上越線の水上越後湯沢間、磐越西線の新津喜多方間などは事実上のローカル線で、車窓風景も大いに期待できます。
 このプランで、一日ひたすら列車に乗り倒してこようと思います。接続が良すぎて、昼食を買う暇も無いかもしれませんが、まあそれはそれで話の種にはなるでしょう。さて、どうなりますことやら。

 今日(8月20日)の5時に家を出ました。いままで、早立ちで6時台に出たことは何度かありますが、5時というのはあまり例がなかったかもしれません。明るくなってはいますがまだ夜は明けておらず、酔狂なことをしているなあと自分でも思いましたが、出がけにマンションの駐車場で、クルマを出そうとしている人を見かけました。そういえば義父もこのあいだ4時半に家を出発したそうですし、世間的にはそんなに酔狂というわけでもないのでしょうか。
 駅までの道は、さすがにほとんどひと通りがありません。散歩やジョギングの人がときおり行き交うくらいです。
 暑くはないのですが、さわやかな涼しさというわけでもないようです。湿度が高いようで、気温が低いなりに空気が肌にべとべとまとわりついてくるような気がしました。東京はこの8月に入ってから、毎日雨降りの記録を更新し続けています。
 駅に着くと、さすがにそれなりの人は居ましたが、それもちらほらで、ふだん使っている川口駅とは別の駅であるような新鮮な気分がしました。
 上野初発の高崎線電車に浦和から乗るためにこの時間に出てきたわけですが、京浜東北線電車は初発ではなく2番電車です。南行に至っては早くも4番電車が出てゆきました。世間の人は朝早くから動いているようです。
 5時12分に来た北行電車に乗りましたが、車内はガラガラだろうと思いきや、けっこう人が乗っています。立っている客も居るし、大きなスーツケースを携えた客も居ました。蕨とか南浦和とかで下りて行ったところを見ると、これから出かけるのではなく、早着の夜行バスや飛行機などで到着して、帰宅するところかもしれません。

 5時23分に浦和に着きます。高崎線初発電車は32分なので、9分の乗り換えです。高崎線電車が来る前に、5時29分発の宇都宮線初発電車が出てゆきました。そちらに乗れば逆回りができるかもしれないと思って時刻表を繰ってみると、今回のまわりかたに較べて乗り換えに要する時間が多く、途中で陽が暮れてしまうことがわかりました。
 いずれの初発電車も、けっこう客が多いので驚きました。わりに乗車時間が長いので、ボックスシートのある車輌に乗りましたが、ボックスがまるまる空いているところなど皆無です。男性客がひとりだけ居眠りしているボックスに割り込んで坐りました。
 走るうちに朝の気配がしてきました。しかし陽光はさしません。今日もここしばらくと同じように、曇った、はっきりしない天気になるようです。
 電車は途中で空くこともなく、同じような乗車率で走って高崎に着きました。まだ6時55分です。数日前に青春18きっぷを使ったときは、このあたりが目的地でしたが、今日はむしろここからが本題です。トイレに行き、一旦改札を出て、自動券売機でSUICAにチャージしました。青春18きっぷを持っているのでSUICAにチャージする必要は無いと思われるかもしれませんが、実はあとで必要になることを見越して、ここで入れておいたわけです。この先はしばらくSUICAをチャージできるところは無さそうですし、高崎での17分という乗り換え時間が、実は今日2番目に長く、他の駅では余裕を持って動けそうにありません。

 7時12分の上越線電車で高崎を後にします。最近のこのあたりの電車の常で、オールロングシートです。
 さっきの高崎線電車から、みんながこの電車に乗り換えていたらえらい混雑になりそうでしたが、両毛線・信越線・吾妻線に適度に散ってくれたようで、それほどの乗車率ではありませんでした。それで、ロングシートでは少々気羞しいのですが、持ってきた朝食を食べ始めました。
 ところが、新前橋に着くと、年配の男女が一斉に乗ってきました。みんなハイキング姿です。空いていた座席がたちまち埋まり、立つ人も出ました。こうなっては食事を続けるのも憚られます。途中で中断しました。乗ってきたお年寄りたちは、いわゆる「歩こう会」といったたぐいのグループであったようで、隣の隣くらいに坐っていたまとめ役らしいご老人が見ていたチラシを盗み見たところ、土合駅の地下プラットフォームに着いてそこから地上に出て、谷川岳天神岳をハイキングするというプランであるらしいのでした。土合はこの電車の終点である水上からさらに乗り換えて2駅目ですから、お年寄りグループは漏れなく終点まで同席するわけです。
 どうも、日曜日に出てきたのが良くなかったのではないかと見当がついてきました。平日ならそんな企画もあまり立てないのではないでしょうか。いや、お年寄りグループではそうでもないかな。
 渋川くらいまでは市街地が続いている感じでしたが、渋川を過ぎると車窓が何か「里」という雰囲気になり、さらに沼田を過ぎると「山里」といった気配になりました。このあたりからの上越線は、かつて特急や急行がじゃんじゃん走っていた頃にはあまり気づきませんでしたが、なんとも心洗われる山岳路線となります。
 水上駅が近づくと、最前部の扉に集結する人たちが増えました。みんな事情がわかっているようです。水上から先へゆくには、最前部にある狭い跨線橋を渡って隣のプラットフォームに行き、そこに停まっている電車に乗り換えなければなりません。いまや1日わずか5往復だけになってしまった閑散路線です。その接続電車で好い座席を確保するためには、できるだけ早く跨線橋に取り付いて渡ってしまわなければならないのです。
 同一プラットフォームで乗り換えられるようにしてくれていれば良いのに、まったくJRの料簡を疑います。
 私も負けては居られません。やはり水上駅到着前に最前部の扉のほうへ行き、扉が開くや否や飛び出して、階段を2段抜きで駆け上がりました。私自身もすでに50の坂を越えているものの、さすがに歩こう会のお年寄りたちよりはまだ足腰がしっかりしていたようで、1着ではありませんがかなり先んじて隣のプラットフォームに駆け下りました。急に走ったものだから心臓が苦しいのなんの。あまり無理をしてはいけませんね。

 今度こそボックス席を悠々と占拠して坐りました。接続の電車が、短距離ではなく長岡行きで、そのためか4輌とかなり長い編成になっていたおかげでもあるでしょう。
 上に書いたとおり、水上から先へゆく電車は非常に少なくなっています。水上〜越後中里間の定期列車は5往復しかありません。昔のローカル線にはそんなのがよくありましたが、ほとんど廃止されてしまい、いまでは全国でもワーストに入る超閑散区間と言って良いでしょう。今回のこのルートを考えたのは、高崎線の初発に乗れば、この超閑散区間を走る1番電車に乗り継げて、しかもそのまま長岡まで走ってくれるということがわかったからです。これも上に書いたとおり、逆回りだとうまくゆかないのも、この区間の接続が良くないからなのでした。
 水上発8時17分。まだこんな時刻だということが信じられない気分です。ふだんの私の生活なら、ようやく起き出す頃です。
 温泉街を出てすぐに山間部になります。しばらく走って、次の湯檜曽の温泉地区が見えたと思ったら、上り線路と急角度で離れ、新清水トンネルに入った直後に湯檜曽駅となります。このあたり何度も通っていると思うのですが、湯檜曽駅の下りプラットフォームがトンネルの中だったというのをはじめて確認した気がします。上り電車に乗っているとわからないし、前に下り電車に乗ったときは、もしかしたらすでに陽が暮れていて、トンネルの中だか外だかわからなかったかもしれません。
 そしてそのままトンネルを走り、やはりトンネル内にある土合駅に停車します。ここはトンネル内の駅として有名で、地上までは400段以上の階段を昇ってゆかなければなりません。かつて有人駅だった頃は、時刻表の欄外に

 ──土合駅の下り列車の改札は発車10分前に締め切ります。

 と註記してあったものでした。改札口からプラットフォームまで、10分とは言わないまでもかなりの時間を要するのでした。今回、私の乗っていたあたりが、ちょうど出口に面していて、ダンジョンめいた昇り階段が暗がりの中に消えているのがよく見えました。先ほどの歩こう会のお年寄りたちはここで賑やかに下車しました。谷川岳を歩く前に400段以上の階段でへばってしまわなければよろしいのですが。

 土合駅からさらにしばらくトンネル内を走り、やがて地上に出ます。国境の長いトンネルを抜けて、新潟県に入りました。真夏ですからもちろん雪国の風情は無く、むしろ関東地方がどんよりと曇っていたのに対して、青空が見えてうららかな陽光がさしていました。しかし白雲は低く山にかかっていて、なんだか幽邃な気分になります。
 トンネル内との温度差のせいか、窓ガラスが一斉に曇りました。すぐに到着した土樽駅の駅名も見えないくらいです。手で拭き取ろうとしたら、内側が曇っていたわけではなく、外側だったようです。走るうちに曇りが消えるのを待つしかありません。
 冬は賑わうスキー場の拠点駅を結びながら、だんだん高度を下げてゆきます。そういえば当初はシーズン中だけの臨時営業駅だった岩原スキー場前上越国際スキー場前も、いつの間にか通年営業になっています。
 越後湯沢ではほくほく線スノーラビット号が見えました。北陸新幹線が開通して、特急「はくたか」が新幹線に奪われてしまい走らなくなったのを受け、ほくほく線では従来もあった快速の他に、「超快速スノーラビット」と称する高速電車を走らせています。一日に1往復半だけですが、かつての「はくたか」と似たような停車駅です。ただし車輌は特別なものではなく一般車輌のようです。「超快速」とやらに乗ってみたい気持ちがふつふつと湧き上がってきましたが、今日は仕方がありません。ほくほく線は第三セクターなので、青春18きっぷでは乗れません。

 終点の長岡が近づいてきて、考えました。長岡から乗り継ぐ予定の新潟行き快速電車は、長岡始発ではなく、新井から信越線を走ってきます。信越線と上越線が合流するのは、長岡ではなくてその手前の宮内です。そしてその快速は宮内にも停車します。だとすれば、長岡まで行かずに宮内で乗り換えてしまったほうが良いのではないでしょうか。いま乗っている長岡止まりの電車からその快速に乗り換える人は多そうで、坐れない可能性があります。しかし宮内で乗り換えてしまえば、その快速でも長岡で下車する人が大勢居るでしょうから、乗り継ぎ客が乗り込んでくる前に坐ってしまえるかもしれません。
 そう思って、10時16分、宮内で下車しました。昔の「汽車駅」の情緒を残した感じの古びた駅でしたが、跨線橋を渡ってみると、改札がその途中にあるいわゆる橋上駅になっていました。古い建物のままキッチンだけ最新式に取り替えたような趣きです。
 快速は10時20分にやってきました。この快速、昔の長野〜新潟間急行「赤倉」あたりの系譜を継いでいるのかもしれませんが、驚くべき利用度で、ほぼ満席、立ち客も大勢いる状態でした。
 いや、でも長岡でだいぶ下りるはず……と思ったのですが、立っていた客が若干下りただけで座席は空かず、しかも危惧したとおりさっきの長岡行き電車からの乗り継ぎ客もドッと乗ってきて、なんだか夕刻の湘南新宿ラインにでも乗っているかのような混雑ぶりになってしまいました。私も当然ながら坐れません。そして驚くべし、途中の停車駅でも下車客よりは乗車客のほうが常に多く、座席に坐った客は下りる気配もなく、ずっとそのまま走り続けたのでした。
 正確に言うと、私の立っていたすぐ近くのボックスには、3人連れの女の子が坐っており、ひとり分は空いていました。ただ、私は体格的に人並み以上にスペースをとるので、そこに坐るのは遠慮していました。それはそれで良かったのですが、途中から私よりはずっと細っこいおじさんが近くに乗ってきたのに、女の子たちは座席を空ける素振りも見せずにそれぞれスマホを眺めながらときどきキャハキャハと笑っているばかりで、むしろバッグをスペースに投げ出して、おじさんが坐る気になるのをブロックしている様子でした。3人とも見た目はなかなか美人だったのですけれども、こういう振る舞いを目にするとがっかりします。おじさんもジト眼で彼女たちを睨んでいたようでした。
 11時12分、新津着。新潟まで行かずに、私はここで下ります。次の列車は11時34分の磐越西線、会津若松行きで、すでにプラットフォームには入線していました。
 22分の乗り換え時間があります。これが今日最長の接続待ち時間でした。

(2017.8.20.)

II

 8月20日(日)の早暁5時に家を出て、浦和・高崎・水上・宮内長岡のひとつ手前)と乗り継ぎ、新津までひたすらに列車に乗り続けてきましたが、驚くべきことにまだ午前中です。
 うちの最寄りの川口駅発は5時12分、新津着は11時12分だったので、かっきり6時間かかっています。しかしまあ、普通列車(快速を含む)だけで6時間なら立派なもので、私が長岡に住んでいた頃、東京から長岡まで、特急で約4時間とされていました。
 新津での乗り換え時間は22分。この日いちばん長い待ち時間でした。ちなみにそれまでの乗り換えは、浦和が9分、高崎が17分、水上が7分、宮内が4分というものです。10分を越えないと、落ち着いてトイレにも行けない感じで、実際に出かけてきてから、高崎で行ったきりで、新津で2度目のトイレとしました。
 さらに、この駅で駅弁を買い求めようと思います。新津からは会津若松行きの磐越西線のディーゼルカーに乗りますが、2時間半ほどかかり、会津若松まで行ってしまうと昼食時を逃してしまいます。しかも会津若松での乗り換え時間は9分で、弁当売り場を見つけて買い求めている時間があるかどうかわかりません。
 前に、新潟から出発して磐越西線・只見線を走り新潟に戻るという臨時行楽列車に乗ったことがあります。そのときのことは文章にまとめてありますが、はっきり言ってサイテーな列車でした。それこそ昼食を仕入れる余地も無さそうだったので、私は長時間停車している新津で早々と弁当を入手しておいたのでした。
 列車はサイテーでしたが、新津で買った「雪だるま弁当」は大変おいしく、今回も新津で買うならそれを買おうと思っていました。

 前のときは、新津駅は1番線に改札口がついている、昔の国鉄駅タイプの構造だったと記憶していますが、ここも都市型の橋上駅に改築されていました。確かにこのほうが、簡単に線路の両側に跨線橋で出られるので便利ではあるのですが、どうにも味気ない気がします。
 その橋上の改札口のところに、駅弁屋が居たので、見せて貰いましたが、雪だるま弁当が見当たりません。
 「雪だるまは無いの?」
 と訊いてみたら、あれは今日は出ていないとの返事。残念でしたが、無いものは仕方がないので、「雪の舞」というのをひとつ買い求めました。
 改札内に戻ってプラットフォームへの階段を下りかけると、向こうのほうに「雪だるま弁当」と大きく看板の出た建物が眼に入りました。しまった、あそこまで行けば買えたのかもしれない、と後悔しました。22分あれば、なんとか行って帰ってこられたのではないかと思います。

 磐越西線の列車232Dはこの日には珍しく空いていました。昔懐かしいキハ40系のディーゼルカーです。塗り直しや内装の張り替えなどはおこなわれていましたが、かつてさんざん見慣れたレイアウトでした。途中ですれ違った列車を見ると、磐越西線でもキハ110系キハE120系が標準的であるようですが、これらは座席数が少ないので、キハ40系で良かったと思います。ボックスを占拠してのびのびとくつろぎました。
 11時34分、ブルンブルンというディーゼルカー独特のエンジン音を震わせながら、新津駅を出発しました。この列車の乗車時間はほぼ2時間半で、この日最長です。最近は列車の運転区間の短距離化が著しく、2時間以上乗り続けていられるような列車があんまり無くなりました。せめて2時間くらいは乗っていないと、汽車旅をしているという気がしません。
 発車間際に乗り込んできていた、妙に賑やかなお年寄りたちも、五泉で下りてゆきました。五泉は磐越西線の非電化区間の沿線では唯一市制が敷かれた街です。かつてはここから蒲原鉄道というミニ私鉄が分岐していて、信越線加茂まで通じていました。加茂側は山間部が多くて採算がとれず、途中の村松という城下町までに短縮したのちに乗りに来たことがあります。しかしその村松までも、バスで簡単に代行できる状態で、いつしか消えてしまいました。駅近くで、蒲原鉄道の跡地かなと思われるようなカーブを伴った空き地はあった気がしますが、往時を偲ぶことはできませんでした。
 五泉を過ぎると、阿賀野川に寄り添って山の中に遡ってゆきます。阿賀野川は私が見るときはなんだかいつも増水しているようで、この日も幅いっぱいの泥水をたたえていました。昔、集中豪雨のときに列車に乗って河口近くの阿賀野川を渡ったら、河原まで水があふれかえって、川幅800メートルくらいあるとんでもない大河になっていたことを思い出します。
 車窓から陽差しがさしこみます。磐越西線はだいたい東西の向きに敷かれているので、新津から会津若松方面の列車に乗って、右側の座席に坐っていれば、そちらが南側になるのが道理です。だから陽差しがさしこむのも想定内ではあったのですが、東京近辺がこのところずっと曇りばかりではっきりしない天気が続いていたので、こういう夏らしい陽差しが久しぶりな気がしました。しばらくは腕などに当たる陽差しの熱さを愉しんでいたのですけれども、そのうち蒸し暑くなってきました。車内は冷房されているのですが、旧式車輌であるキハ40系では、夏の直射日光に対抗できるほどの冷房出力は得られないようでした。
 暑さで弁当が悪くなるといけないので、「雪の舞」弁当をひもときました。舞茸の煮しめがたくさん入っているのが名前の由来であるようでした。ご飯は軽く酢飯にしてあるようで、さすがに新潟の米だけあっておいしく食べられました。
 五泉に次ぐ集落である津川を過ぎると、国境越えにかかります。豊実徳沢のあいだに県境がありますが、この両側の駅名、なんだか豊臣徳川を連想させますね。もっとも、私は国境越えのとき、食後のけだるさで少しうとうとしていたようです。ふと気づくともう福島県側の野沢が近くなっていました。
 13時48分に喜多方に到着します。ここから先は電化区間ですが、会津若松がスイッチバック駅になっているので、運行上はそちらが境目になっている列車が多いようです。
 私の乗った列車は、喜多方から会津若松までにある途中駅を4つほど通過します。会津豊川・姥堂・笈川・堂島の4駅は、停まる列車より通過する列車のほうが多く、通過するものも特に「快速」などとは呼ばれていません。以前北海道によくあった「仮乗降場」のようなもので、朝礼台みたいな簡便なプラットフォームがあるだけの小駅なのでした。
 会津若松着14時05分。2時間半乗ってきたわけですが、あんまり長かった気がしません。乗り足りない気持ちのほうが強いように思いました。

 9分の乗り継ぎで、郡山行きの快速電車に乗り継ぎますが、こちらはえらく混雑していました。6輌もある長編成なのに、ほぼ満席です。私はかろうじて、4人ボックスのうちひとり分だけ空いていたところに尻をねじこみましたが、それより後に乗ってきた人には、坐れない人も多かったようです。
 6輌のうち2輌は「フルーティアふくしま」という特別車輌で、乗車整理券が無いと乗れなかったそうですが、普通の車輌も4輌はあったはずで、どこからこんな人が湧き出てきたのかと不思議に思いました。会津若松へは只見線会津鉄道も通じていますが、それらからの乗り継ぎ客を集めてもこんな混雑にはならなさそうな気がします。
 そこで、ふと気がつきました。私が乗った232Dの前に、「SLばんえつ物語」が運転されていたことに。
 休日運転の蒸気機関車列車で、新津駅を出るのは232Dの1時間半も前なのですが、蒸機とディーゼルエンジンの出力差のため、途中でだいぶ差を詰め、会津若松到着はわずか30分前です。この列車が到着してから、郡山に向かう列車は出ていません。つまり、いま乗っている快速には、その「SLばんえつ物語」から乗り継いできた客が大量に乗りこんでいるはずです。混んでいるのはそのためだったのでしょう。
 やはり日曜日に来たのは失敗だったか、と頭を抱えたくなりました。
 途中で下りる客もあんまり居ません。むしろ猪苗代磐梯熱海などで、乗ってくる客のほうが多かったと思います。
 1時間ほどで郡山に到着します。快速電車から下りてプラットフォームのエスカレーターに向かう客の流れは、都会のラッシュアワーを髣髴とさせるようなものでした。私はトイレに寄っていたら、その流れに容易に乗り込めないほどの有様になっていました。

 郡山からは東北本線の鈍行電車で黒磯へ。さっきの大量の乗り継ぎ客の一部は新幹線へ、一部は仙台方面へ向かったと思われますが、この電車に乗り継いだのも多かったのでしょう。オールロングシートの座席はすべて塞がっていました。
 塞がっていても、途中の駅でどんどん下りてゆくのが常なのですが、それは平日の通勤客や買い物客の話だったようです。須賀川矢吹白河新白河といったそこそこ主要な駅に停まっても、坐っている客は微動だにしないのでした。荷物の小さな、すぐ下りそうな客に注目していましたが、それも一向に下りてゆきません。
 郡山を出た頃から、空の色がなんだかおかしいと思っていたのですが、やがて雨が落ちてきました。この雨が東京近辺でも降っているのかどうかわかりませんが、降っていたとしたら20日連続の雨ということになります。
 黒磯まで62分、結局立ちづめでした。宮内から新津までの52分より長かったわけです。地方に列車に乗りに行って坐れないというのはどうにも凹むものがあります。
 昔は地方で列車に乗るとたいてい空席が目立って、大丈夫なのかこの列車は、と思いたいようなことがよくありました。赤字ローカル線はもちろんですが、幹線系でも同様でした。
 大丈夫なのかと思いたくなるローカル線はおおむね廃止されてしまいましたが、幹線系でも昔は空いていたのは、編成が長かったせいでしょう。6輌編成くらいの列車が普通に走っていました。幹線系の普通列車には機関車牽引のものが多く、あまり短編成にすると効率が悪かったのです。
 それがいつの頃からか、短編成で便数を増やすという方針になりました。もちろん客のためにはそのほうが便利でしょう。701系のような寒冷地用の電車なども開発され、短編成で走らせることが可能になりました。
 それは良いのですが、どのくらいの編成を基準としたかというと、JR東日本では「その列車の輸送量がいちばん低くなる区間で着席率が100%となる程度」というのが目安となったのでした。キハ110系などの、意味も無さそうな2+1タイプ座席は、この基準に合わせるためなのかもしれません。
 いちばん空くあたりで空席が無いように考えるのですから、都市部などに近づくと坐れない客が出てくるのも当然です。また多客期には車輌を増やすなどといった配慮もあまりしていないように見えます。JR東日本は所帯が大きいためにいちばん旧国鉄に似ているとよく言われますが、客を立たせてなんとも思わないあたり、なるほど国鉄の遺伝子を色濃く受け継いでいると思わざるを得ません。
 しかしまあ、平日であればこんなにフル乗車ばかりの客ではなかったのかもしれません。実際、前にマダムとこの区間に乗ったときも、郡山を出るときはだいぶ混んでいましたが、白河あたりでかなり空いた記憶があります。

 終点黒磯までもうひと駅という、高久に着こうとするとき、坐っていた男性客がむっくりと立ち上がり、扉の前に移動しました。ところが、彼は高久駅では下りようとせず、そのまま扉ぎわの手すりをガシッと掴んでいました。
 しばらくして、彼の魂胆がわかりました。黒磯駅に着いたとき、一番に下りようというつもりなのです。

 ──なんぴとたりとも、俺の前には下りさせねぇ!

 という、強い意志を感じる形相でした。
 黒磯駅では、直流と交流が切り替わるため、交直流対応の電車や電気機関車でないと直通できません。駅と駅の途中に切り替えのある常磐線湖西線では、全列車を交直流対応にせざるを得ませんが、交直流電車というのは値段が高いので、普通列車用に投入するのはなかなか大変です。そのため、特急や急行の無くなった東北本線において、黒磯駅は「絶対乗り換え駅」となりました。そしてこの乗り換えは、水上駅と同様、同一プラットフォームでできるようにはなっていません。狭い跨線橋を渡ってプラットフォームを移らなければならないのです。
 東京側の電車のほうが編成が長大ですから、郡山からの電車の客が全員坐れるくらいの余裕はあるのですが、好い位置に乗りたい、ボックスシートを確保したいなどの希望がある場合は、やはり早い者勝ちになってしまいます。従って、これまた水上駅と同様、客は駅に着くや否や一斉に駆け出すことになります。
 黒磯着16時32分。さっきの男性客はもちろん先頭切ってプラットフォームに駆け出しました。誰も彼も必死に走っています。構内アナウンスで、繰り返し
 「ホーム上を走るのは大変危険ですから、おやめください」
 と放送していましたが、これは無理な話でしょう。本気でやめさせたければ、駅の構造をなんとかするしか仕方がありません。
 私も走りましたが、ただ水上駅のときのような必死さはありません。というのは、これから乗り継ぐのは上野行きの快速ラビット号で、私は最初からグリーン席をとるつもりだったからです。
 黒磯からの電車のほとんどは宇都宮止まりで、宇都宮でもういちど乗り換える必要があるのですけれども、ごくたまに宇都宮を直通する列車が走ります。この快速は珍しいその一例だったのでした。
 宇都宮から乗るのだったら、グリーン席などとらなかったと思うのですが、黒磯からであれば50分ほど余計にかかりますし、グリーン料金を払う気になる距離と言えます。休日なので少し安くもなります。
 ただ、あんまり無い列車なので、黒磯駅にはプラットフォーム上の磁気グリーン券発券機は設置されていません。一旦改札口を出て、券売機で購入しなければならないのでした。
 グリーン券を買おうという乗り継ぎ客がやたら多かったらどうしようかとちょっと心配しましたが、案ずるほどのことはありませんでした。ただ券売機が3台しか無く、私の並んだ列の前に居た若者たちがちょっとトラブっていたので、少しだけやきもきしました。何しろ接続時間は7分しかありません。
 それでもかなり余裕を持って磁気グリーン券を購入できました。実はこのために朝、高崎駅でSUICAをチャージしておいたのでした。黒磯駅でチャージすることは可能でしたが、余計なひと手間が増えます。
 再び改札口を通り、快速ラビットのグリーン席に身を沈めました。先日の「たんばらラベンダー号」の豪華座席とは較ぶべくもない簡易グリーン席(だいたい特急の普通席と同レベル)ですが、のんびりした汽車旅のはずがちょくちょく走らされたり立たされたりした行程のラストランナーとしては充分でしょう。事前ホリデー料金で780円、この程度のゼイタクはしても良いと思います。

 黒磯から浦和まで2時間12分、この日乗った中では磐越西線の232Dに次ぐ長さだったのですが、途中眠ってしまったことが多かったようです。朝が早かったのと、予想外に走ったりすることが多かったことと、けっこう混雑した列車が多くて長時間立っていなければならなかったことなどで、だいぶくたびれていたのでしょう。18時51分に浦和に到着したときには、
 「え、もう?」
 という感覚でした。
 京浜東北線電車に乗り換え、19時11分に川口に帰ってきました。埼玉県・群馬県・新潟県・福島県・栃木県とちょっとだけ茨城県(東北線の古河あたり)にかかった6県をへめぐり、689.4キロのJR路線を10本の列車に乗り倒して、ほぼ14時間の行程だったことになります。普通に切符を買って乗っていたら10150円ですので、11850円の青春18きっぷは、短距離だった16日を補って、充分以上に元が取れたと言って良いでしょう。
 それにしても途中の接続が良かったこと。乗り換えの問題だけではなく、水上から長岡行きの電車に乗れたとか、黒磯始発の快速ラビットに乗れたとか、「乗り換える必要のない」列車をたびたび捕捉できたのも良かったと思います。
 ただ、「旅行」としてはいささかあわただしすぎた観があります。次はもう少し余裕のある旅程を組んで愉しんできたいと思っています。

(2017.8.21.)


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