忘れ得ぬことどもII

宰相の役割

 被災地に送られている義捐金や支援物資が、まともに分配できず滞留しているという話を新聞で読みました。
 バカな話で、せっかくの善意がまるで伝わらないわけです。何をしているのかと思います。お金はもう少し後でも良いかもしれませんが、物資などは今すぐにでも必要なものがあることでしょう。
 新聞記事によると、どうやら、そういったものを「公平」に分配しなければならないのに、まだ行方不明者が多かったり、どこに何人避難しているという統計が作れていなかったりするために――いわば分母が決まらないために、何をどこにどれだけ送ればよいかという事務作業が進まないということのようです。
 受け入れ先の自治体そのものが甚大な被害を受けているので、そんな統計がなかなか作れないのはあたりまえのことです。住民の保護や事務の復旧にてんてこまいな現地市町村に、そんな手間を要求するのは明らかに間違っていますし、現地からの請求を待っていたのではらちがあくわけがありません。こういうことは現地からの声など待たずに、政府がどんどん進めてゆかなければならない作業です。

 総理大臣のことを宰相とも言いますが、「宰」という文字は白川静博士によると「屋根の下に包丁を置いた形」なのであるそうです。つまり、原義は(祭祀用の)肉を切り分ける」ことにほかなりません。肉を公平に切り分けることが「宰領」であり、国家の祭祀においてその作業をやる人のことを「宰相」と呼んだわけです。
 言い換えるならば、宰相の最大にして最重要の要件は、まさしく「公平に分配すること」なのです。この役割を怠る宰相は、もはや宰相の資格がありません。昔であれば皇帝の怒りを買って退けられるか、場合によっては死罪に処せられたでしょう。
 注意しなければならないのは、「公平に分配する」のは「平等に分配する」のとは違うということです。肉には胸肉やもも肉、バラ肉やほほ肉などいろんな部位があって、それぞれに味わいや滋養分が違いますし、分け与えられる人々の家族の数とか役割の大小などによって分量に差をつける必要もあるでしょう。機械的に同じ分量ずつに分ければ良いというものではありません。祭祀の宰領者は、肉の部位や相手の立場などを瞬時に判断して切り分けてゆかなければなりません。ものが肉ですから、あまり時間をかけていては腐ってしまいます。大変な作業ですが、それをやるのが宰領者つまり宰相の仕事なのです。

 考えてみれば、学校の成績を全員「3」にしてみたり、運動会で全員手をつないでゴールしてみたりと、戦後日本は平等イコール公平であるという「悪しき平等主義」が幅を利かせてきたように思えます。それぞれの個性や特性の違いを認めず、全部横並びにしておけば公平だなどと考えるのは、「怠惰な公平」というものではないでしょうか。
 私は社会主義というのもこの「怠惰な公平」に基づいているように思えてなりません。マルクスの考えのどこを読んでも、「自覚した労働者」なるものは登場しますが、その自覚した労働者の個々の適性の違いなどを認めた形跡が感じられません。労働者は「自覚」しているにもかかわらず、ただの労働力の単位として扱われており、ものを考えるのは指導部だけで良いというのが社会主義ではなかったでしょうか。だからこそ、社会主義をとった国では必ず愚民化政策がとられています。下からの創意工夫などが反映される制度を持った社会主義国は過去にひとつも存在しませんでした。
 戦後日本のありかたにどっぷり漬かり込み、なおかつ社会主義への心情的親和性が高かった人々が集まった民主党政権が、「怠惰な公平」しか考えつくことができないのは、当然といえば当然かもしれません。

 分母が決まらないから分配ができないなどというのは、本当に公平に分けようとしているのではなく、平等に分けようとしているからであるとしか考えられないのです。通信簿を全員「3」にし、駆けっこも全員同時ゴールさせる感覚で支援を考えているから、そんなことになってしまうのです。
 百歩譲って、官僚はそういう考え方をしてもやむを得ないところがあります。しかし、宰相はそれでは困るのです。被災者支援に必要なのは、平等にモノやカネを分けることではなく、迅速に分けることです。スピードが何より大事なのです。多少の量の多寡があっても仕方がありません。大体援助を必要としている人々が、「あっちの地域より少なかった」と直ちに文句を言うなどということはあり得ません。あとになってぶつくさ言うくらいのことはするかもしれませんが、火急の必要というものは他者とは較べようがないはずです。
 孫子「兵は拙速を尊ぶ」という文言も併せて掲げておきましょう。戦術・戦略の多少の優劣など、スピードの前にはさしたる意味を持ちません。この「兵」は軍事行動のことですが、災害対策も広い意味では軍事行動と呼んで差し支えないと思います。
 拙速をもって支援物資を分配できない宰相であれば、本当に退場していただかなければなりません。繰り返しますが、宰相のいちばんの要件は分配です。他にどんな才能があろうがなかろうが、分配のできない宰相は不要、というか存在自体が撞着しています。あり得ないのです。
 義捐金や支援物資を今のように滞留させたままで、菅直人氏があくまで首相の椅子にしがみつくのであれば、過激な表現ですが暗殺されても仕方がないと言わざるを得ません。「一生懸命頑張る」というような言葉だけではなく、宰相・菅直人は本気で進退を考えるべき時に来ています。

(2011.4.6.)

【後記】民主党政権の無能さが徐々に明らかになってきました。復興を下支えするどころか、ほとんど邪魔ばかりしており、のちに「悪夢」などと称されるのも当然だと思います。
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