忘れ得ぬことどもII

計画停電 終わる

 東京電力計画停電がひとまず終了したそうです。関東地方の人々はほっと一息というところでしょう。みんなで節電に励んだ結果、使用電力がおおむね前年比8割程度におさまり、供給可能なメドがついたということのようです。4月に入って暖かくなり、暖房などを使わなくなったこともあるでしょう。
 もちろん、計画停電が終わったからと言って、電気を今までのように野放図に使って良いというわけではありません。供給電力は依然として、去年の同時期のピーク時のレベルには及ばないわけで、つまりは地震以来の節電体制を続けていればなんとか供給できる、ということに過ぎません。来週からは野球のナイターも再開されますし、ディズニーランドなどが追い追い営業開始した場合に大丈夫かどうか、もしかするとまたもや東電が前言を翻さざるを得ない状況に陥らないとは限らないと思います。夏にも計画停電をしない予定とのことですが、それだって状況によってはどうなることか。
 今後、昨夜(4月7日)23時半過ぎに起こったような特大レベルの余震が発生することも考慮しなければなりません。昨夜は、3月11日の揺れに見事に耐えたはずの女川原発の電源がいくつか落ちたと報道があってヒヤリとしましたが、幸いさほど大ごとにはならずに済みました。しかし今は常に「もしかしたら」という意識で居ることが大切でしょう。福島の原発の処理はいささか泥沼化しつつあるというものの、電力供給そのものは少しずつ回復していますが、いつまた大幅ダウンという事態になるかもしれないのです。
 この一ヶ月ばかりで身に付いた節電意識を、これからも持ち続けることが大事でしょう。たとえ供給可能量が元のレベルに復したとしても、省エネの観点から、節電して悪いことはないのですから。私らはすでに、電灯を半分消したスーパーに入っても、別に違和感を覚えなくなりました。その感覚を失わないようにしたいと思います。

 結局、私のところで実際に停電がおこなわれたのは、4回だったように記憶しています。最終時間帯の19〜22時が2回と、その前の16〜19時が2回かな。当初は大変なことになりそうな感じでしたが、意外と軽く済んだ印象です。
 夜間の2回は、荒川大橋を越えて隣の赤羽に行き、ファミリーレストランで時を過ごしました。今後毎回ファミレスに行くわけにもゆくまいというので、家で暗い中過ごすためにろうそくなどを購入しましたが、使うことなく済みました。
 夕方の2回は、一度はもともと晩に外出する予定があったため、早めに家を出てしまいました。もう一回はすることもなかったので、通電するまで昼寝というか夕寝をしていました。マダムは幸いどちらも家に居ない時でした。
 そんなわけで、停電による深刻な不便さというのも、私はそれほど経験しなくて良かったわけです。地震の時の被害の軽微さと共に、なんだか申し訳ないような好運であったと思います。
 皇居では、かしこくも天皇陛下のご意向により、第一ブロックの停電スケジュールに合わせて自主的にすべての電源を落としていたとのことです。東京の都心三区(千代田区・中央区・港区)は停電しないようになっていたはずですが、国民と苦しみを共になさりたいという大御心でした。たとえ回避された日でも、その時間帯は必ず電源を落とされていたという話ですので、実のところ陛下をはじめとする皇室の皆様こそ、直接被災していない計画停電地域の中では、電気の無い時間をご経験なさることがいちばん多かったということになりそうです。

 オール電化の家というのがもてはやされていましたが、今やすっかり色褪せてしまいました。うちの近くにも看板が出ていましたけれども、この一ヶ月足らずで看板そのものが何か輝きを失ってきた気がします。すべてを電気に頼る暮らしの危うさを、私たちはこれ以上無いような適切さで教わったことになります。
 なんによらず、ひとつの手段だけに集中するのは危ないということで、これは電気に限った話ではなさそうですね。
 コンピュータプログラムでも、生化学の世界でも、最近は「冗長性」ということが見直されてきています。一見非効率で無駄に見える部分がいくつもあるのですが、これがあることによって、何かの事故でどこかが機能しなくなったとしても、即座に全体が麻痺してしまうということにはならないのだそうです。たとえて言えば、同じ区間にふたつの鉄道が敷かれているようなものです。JRのどこかで事故があって電車が止まってしまっても、京浜急行で目的地にたどり着けるみたいなことで、ある目的のためにいくつもの方法を用意しておくことは、無駄なようであっても必ず役に立つものです。
 オール電化の家は、なんだかモダンで格好が良いイメージがありましたが、今回のことでその脆弱性が明らかになりました。やはり炊事や入浴などにはガスを使用しておいたほうが、何かと便利であろうと思います。

 これから、今まで以上に省電力タイプの製品の開発に拍車がかかるであろうことは予想できますが、もう少し大きなものとしては、超伝導技術の開発も進むのではないでしょうか。超伝導はリニアモーターカーの基礎技術として知られていますが、それ以上に、巨大な蓄電池として利用できます。電気抵抗がゼロになる現象が超伝導ですから、理論的には、作った電気を、全くロス無しに送ることができるわけです。回路をループさせておけば、いつまでも一定の電力を保持できることになります。
 今回の計画停電は、何よりも電気が「貯めておけない」ということが要因になっていました。貯めておけるのならば、需要の少ない夜間などにせっせと発電して、それを昼間のピーク時に供給すれば良かったわけですが、現在の技術ではそれができません。今回有名になった「揚水発電所」がせいぜいです。
 揚水発電所というのは、確か昔、科学パズルの本で扱われていたことがあると記憶しています。字面からして、水を上に汲み揚げて、その水を落とすことで発電をおこなう水力発電所であろうとは判断がつきますが、当然ながら、水を落として得られるエネルギーは、水を汲み揚げるのに要するエネルギーよりもずっと少ないはずです。そんな無駄なことをなぜおこなうのか……というのが問題の趣旨でした。電力需要の少ない夜間に、剰った電力を使って水を汲み揚げておき、需要の多い時間帯に発電できるように備えるというのが揚水発電所の意味です。
 もちろん今回、揚水発電所はフル稼働していました。しかし効率の悪い方法であることは争えません。電気をロス無しで貯めておくためには、超伝導蓄電所を実用化するのが最善です。
 ただし、今のところ超伝導を実現するためには、超低温が必要です。絶対零度(零下273度)近くというようなものすごい温度ではなくなりましたが、液体窒素などで非常に低い温度を保たなければならないのは変わらず、いわば強力な冷凍庫が必要なわけですから、そのために多大な電力を食ってしまうことになります。その辺のコストがまだ採算のとれる段階まで来ていないのです。
 一時期話題になった常温超伝導の話も、追試が思わしくなかったようで、いつの間にか下火になっています。しかし、完全な常温とは言わず準常温くらいでも良いので、研究を進めるべきではないでしょうか。
 原子力以外のクリーンで強力な発電方法の開発と共に、日本の科学技術の結集を求めたいところです。
 一ヶ月足らずとはいえ、いろいろと考えさせられる期間を経験させて貰ったような気がします。

(2011.4.8.)

【後記】計画停電は不便でしたが、それなりに貴重な経験でもありました。しかしここに述べた超伝導ほかの技術的なブレイクスルーは、残念ながらさほど生まれたようには思えません。日本の技術力が落ちてきているのではないかと心配になります。
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