『セーラ』の
新ヴァージョンによるオーケストラ練習がはじまりました。
今日から4回、オーケストラのみによるリハーサルをおこない、その4回目のあとに引き続いて歌との合わせ、いわゆるオケ合わせをやって、あとはホールリハーサルとなります。長い曲なので練習もなかなかタイトなのですが、どうなることかワクワクしています。
何しろ今回は
「ほぼフルオケ」編成です。まあ弦楽器の数は少ないし、クラリネットは1本だし、ファゴットの代わりにテノールサクソフォンとバリトンサクソフォンを使っているし、金管も標準編成よりはコンパクトとなっていますが、それでも立派なものです。自分の作品が標準に近い生オーケストラで演奏されることには、かつてない喜びを覚えます。
前にもちょっと書いたかもしれませんが、私が自分のオーケストラ作品を音にしたのは学生時代以来です。東京藝大在学中に、
「大学祝典序曲」「生々流転」「私事」の3曲を音にすることができました。「大学祝典序曲」は管弦楽法のクラスの試演会に出品したもので、内容的にも試作という色合いが強かったため、作品リストには載せていません。ただ一年上級だった
佐橋俊彦さんに妙に気に入られた記憶があります。
「生々流転」は3年生の課題作品で、成績上位4人だけ音にして貰えたのでした。ガムラン音楽の構造を西洋音楽のオーケストラに持ち込んでみたというけったいな作品でしたが、指揮者があまりガムランに詳しくなく、しかもリハーサル回数が限られているからというのでオーケストラメンバーにはガムラン云々のことは伝えなかったとかで、いまいちよくわからない演奏になってしまったのは残念でした。
「私事」は4年生のときの大学祭出品作品です。あんまり作曲に充てられる時間がなく、わりと雑な部分が多かったように思います。
そんなわけで、3回ともあまり満足すべき初演ではなかったと言えそうです。
在学中には、あと卒業作品として
「有為転生」というのを書きましたが、これは音にすることができていません。卒業制作は、最優秀作品のみが演奏されますので、3年生の課題作品よりも条件が厳しいのでした。私の同学年には
千住明、
鈴木英史、
寺嶋陸也、
三宅一徳などけっこう錚々たるメンバーが居たものの、卒業作品が演奏されたのはそれらの誰でもなく、留年していた一年上級の先輩でした。
大学を卒業してから、自分の作品としてオーケストラ曲を書く機会は訪れませんでした。ただ他人の曲をオーケストレーションする仕事は少しずつ入り、特に某有名作曲家には気に入られたのか、ある時期その人の作るオーケストラ作品はほとんど私がオーケストレーションをするような状態になっていました。オラトリオやオペラや協奏曲など、ずいぶんたくさんやったと思います。おかげで、オーケストレーションの腕はめきめきと上がりました。確実に音になるという保証のもとでスコアを書いていたわけで、私の立場として言ってみれば、ギャラを貰ってオーケストレーションの練習をさせて貰っていたみたいなものでもありました。その意味ではたいへん恵まれていたと思います。
これも何度も書きましたが、オーケストレーションというのは職人仕事です。才能はあるに越したことはないでしょうが、決して才能だけで熟達するものではありません。場数を踏むことが何よりも大事なのです。
オーケストラの魔術師とも思えるようなあの
マーラーすら、若書きのときはかなり稚拙なことをやっています。彼の20歳のときの作品
「嘆きの歌」の2台ピアノ用編曲という仕事を頼まれ、数年にわたってマーラーのスコアとじっくりつきあう機会があったので、そのことに気がつきました。また、
ショパンのオーケストレーションについてしばしば悪口を耳にしますが、彼のオーケストラを伴う作品というのがいずれも20歳くらいまでに書かれていることを考えると、稚拙なのは無理もなく、むしろ年齢を鑑みればよくやっていると言いたくなります。
私は20年以上をかけて、相当に場数を踏むことができました。これは非常に幸せなことだったと思います。オーケストレーションの仕事ならなんでも来い、どんな原曲でも立派なオーケストラ曲に仕上げてやる、と豪語できるだけの自信を持つことはできました。
しかし、作品として「オーケストラの曲を書いてください」という依頼は、ついに訪れませんでした。せっかくこつこつと培ってきたオーケストレーションの腕を、自作曲に活かすことができないまま、30年近くが過ぎてしまいました。
音楽劇を作るのが好きなので、その伴奏として各種のアンサンブルを用いてはきました。
『上野の森』『きんきらがちょう』『おばあさんになった王女』それに
『月の娘』はピアノ伴奏のみです。
『孟姜女』はピアノ伴奏のみの形で初演し、のちにサクソフォンを加えました。
ピアノと楽器もうひとつという組み合わせでは、『孟姜女』の他、フルートを伴った
『蜘蛛の告白』と
『ダイアの涙』それに打楽器を伴った『猫の啼く夜は眠れない』があります。
ピアノと楽器2〜3挺という組み合わせで、
『こおにのトムチットットットット』『ま昼の星』(フルートとチェロ)、
『愛のかたち』(フルートとヴァイオリン)、
『豚飼い王子』(フルートとヴァイオリンとチェロ)を書きました。
やや特殊な編成として、電子ピアノとフルートとトロンボーンと小太鼓を用いた
『ステイション』というのがあります。電子ピアノでいろんな音色を用いるという珍しい作りかたをしました。なお電子ピアノと他の楽器とはいちどもからみません。また
『レストラン』は珍しくピアノを用いませんでした。
少し大きな編成を用いたものでは
『かげの砦』『鬼子母の園』『葡萄の苑』がありますが、オーケストラというにはほど遠いアンサンブルに過ぎません。「オーケストラ曲」ではない、音楽劇のたぐいでも、オーケストラを用いる機会には恵まれませんでした。まあ少人数のアンサンブルでも、現場では「オケ」と呼んだりしますが、言ってみれば比喩表現です。
そんな中、
2010年に
『レクイエム』を書きました。前年に亡くなった
神野明先生への追悼作品です。これはサクソフォン4本(奏者は3人)とフルートとトロンボーンとピアノというヘンテコな楽器編成を持っていますが(のち他にも楽器を加えたヴァージョンも作った)、
板橋区演奏家協会での初演という事情があったためで、
──この曲は「本当は」オーケストラ曲なんだ。
と私は心に決めていました。すでに毎年のオペラ公演がはじまっており、ずいぶん妙な楽器編成のために
モーツァルトや
シュトラウスや
ビゼーなんかをいじっていましたから、そういう「本当はオーケストラ」であるものを板橋編成に「編曲する」というつもりで書いたのです。いずれは「本当のオーケストラ」のために書き直したいと思っています。
『レクイエム』を皮切りに、そういう「本当はオーケストラ」という心づもりになった曲がいくつか生まれました。そのひとつが『セーラ』であり、もうひとつが
『星空のレジェンド』です。『レクイエム』をオーケストレーションする機会はまだ訪れませんが、『セーラ』と『星空のレジェンド』はほぼ同時にオーケストラ化の話が飛び込みました。この2曲は作曲も同時進行で、何やかやと因縁があります。
『星空のレジェンド』はそもそもの最初から、「ゆくゆくはオーケストラにしたい」と関係各位に訴えていました。しかしオーケストラを「雇う」というのはこの曲の企画をしていた
平塚市の合唱連盟にはなかなか荷が重いことで、なかなか色好い返事が貰えませんでした。去年くらいからようやく話が動き始め、とりあえずオーケストレーションをして良いとゴーサインが出たのでした。もっとも、今年の上演には間に合わないし、来年というわけにもゆかないようです。市民オーケストラに頼むのか、どこかの大学オケにでも頼むのか、詳しいことは私もよく知らないのですが、何年か後に新しいホールが完成するのだとかで、そのこけら落とし企画として『星空のレジェンド』オーケストラ版を押し込めそうだという話になっているようです。
ですから、『星空のレジェンド』をオーケストラの響きで聴けるのはもう少しあとのことになるでしょう。しかし、楽章ひとつひとつがわりに短めであるため、『セーラ』のオーケストレーションに先んじて、前半の編曲作業を済ませてしまいました。『セーラ』のほうはなかなか楽器編成が確定しなかったという事情もあります。
finaleで作成したスコアをプレイバック機能で音にしてみると、これが良いのでした。パソコン搭載の簡単なソフトシンセサイザーによる音でしかないのに、ピアノ伴奏とは段違いの響きの拡がり、音の深みが生まれています。ついつい何度も聴き直してしまいました。やはりこの曲はフルオーケストラで演奏すべき曲なのだと実感すると共に、何十年ぶりかの「自作のオーケストラ曲」のサウンドに感涙しました。生の音になるのが楽しみです。
そして『セーラ』ですが、去年のオペラ公演
『こうもり』の楽器編成が、ほとんどフルオーケストラに近いものになっていたので、そんな編成が板橋で可能なのならぜひこんどの『セーラ』も同様にしたい、と私から申し出たのでした。初演のときは、一種の記念企画でもあったので、楽器はなるべく協会員の中で賄おうと考えたのですけれども、今回はそういう配慮を取っ払って、欲しい音を要求することにした次第です。
当然、外部から多くの賛助出演者を集めなければならず、担当者は大変だったろうと思います。これを自分でやらなければならないのだったら到底覚束ないところでした。『こうもり』のような有名どころなら乗りたいという人もおおぜい居るでしょうが、新作オペラと聞くと怖じ気をふるう人も多かったに違いありません。また、ほぼ毎回欠かさず出演している協会員の中でも、今年は乗れない、という人が何人か居ました。もともとあてにしていただけに、そのパートを埋めるのが余計に骨だったでしょう。
その尽力の結果、冒頭に書いたような若干の不足や変形はあるものの、ほぼ二管編成と言えるサイズのオーケストラが集まってくれたのはありがたい限りです。
2月末くらいから実際のオーケストレーション作業をはじめました。
余裕があるつもりでした。去年の『こうもり』もだいたい全曲を私が編曲しましたが、4月はじめから開始して、連休前には終わっていました。3月4月まるまる使えば、やはり連休前には終われるだろうと皮算用をしていました。
ところが、3月もなかばを過ぎて、まだ第一幕第一場さえ終わっていなかったときには、比喩でなく蒼くなりました。3月終わり頃になって、ようやく第一幕が終わったのです。『セーラ』の第一幕と第二幕とはほぼ同じくらいの長さがあり、小節数ベースで言えば第二幕のほうがやや長いくらいですので、同じペースであれば4月中に第二幕が終わらないことになりかねません。
こんなときに映画音楽のオーケストレーションの仕事まで舞い込んできたのだから、まさしくテンテコマイという有様でした。朝から晩までfinaleで作業という毎日が続きました。
結局、連休前には終わらず、連休いっぱいをかけてなんとかオーケストレーションとパート譜づくりを終わらせ、それから
池袋の
キンコーズへ出かけて印刷製本を頼み、できてきたものを郵送し終えたのが
5月16日のこと、だいぶ遅くなってしまいました。もっとも、PDFデータの形ではあらかじめ配布してありましたから、個人練習したい人にとっては不自由はなかったものと思います。パート譜をタブレットで表示させている人も増えてきたので、もう10年もしたら紙に印刷したパート譜などは要らなくなるかもしれません。いまは過渡期というところでしょうか。
さて、そしてようやく、初のオーケストラ練習です。
何人か欠席者が居たので、響きはところどころ歯抜けでしたが、それでも感無量です。
譜面が間違っていて、修正を要したところがいくつもありましたが、これはほとんど避け得ないことで、むしろ新作オペラにしては少ないくらいでした。一体に、移調楽器で調号が無い部分が要注意箇所であるようです。調号が無いというのは、普通はハ長調とかイ短調を意味するのですが、そうではなく無調性であったり、あるいは短いスパンで頻繁に転調するのでいちいち調号をつけかえるのが煩わしいという場合にそうします。そういう部分で、移調楽器の臨時記号を落としてしまうというのがよくあるパターンです。移調楽器を最初は非移調楽器と同じく「C管」で書いておいて、あとで移調するという方法もありますけれども、これをやると「親切臨時記号」が効果的に表示されない場合があって、それはそれで善し悪しがあります。
予想もしなかった響き、ということはありませんでした。それはもちろん、私も年季を積んでいますので、どう書けばどう響くかということはよくわかっています。ただ、全体として思ったより「うるさい」気がしました。これでは歌が聞こえないんではないかと思ったりしましたが、これはたぶん、初合わせなのでみんな頑張ってしまっていたということでしょう。次回の合わせ以降、だんだんバランスが良くなってくると思います。
あと半月少々で本番。楽しみです。