I 2014年の正月は、タロー・シンガーズの演奏会に顔を出すことになっていて、4日(土)の晩に夜行バスで関西に向けて発ち、5日(日)に西宮のホールでの演奏会で舞台挨拶をし、その晩の夜行バスに再び乗って、6日(月)の朝に帰ってくるという強行軍をおこないましたが、それから1週間後の11日(土)の晩、また私は東京駅八重洲南口の高速バスターミナルに到着しました。われながら酔狂だと思いますが、またもや夜行バスで関西に出かけようとしているわけです。今度は近畿大学グリークラブの演奏会です。一昨年のコンクールのために男声合唱曲の委嘱を受け、『きょう、いきる ちから。』という本からテキストをとって2曲書きましたが、それではどうも物足りないような気がして、4曲で組曲としてまとまるように書き上げました。2013年1月の第50回定期演奏会という節目で、組曲としての初演がおこなわれるかと思われたのですが、練習期間が短かったようで、うち3曲の部分初演となってしまいました。 この第50回定期演奏会を控えた2012年末、いちど練習を見て貰いたいと指揮者の根津昌彦さんから頼まれて、大阪まで出向いたことがあります。 それはそれで意義のある小旅行であったのですけれども、肝心の本番の日、私は聴きに行くことができませんでした。板橋のファミリー音楽会という、自分自身の本番とかちあってしまったので、こればかりはやむを得ません。 向こうでは大変残念がっていたようでしたので、 「全曲初演の時には必ず聴きに伺います!」 と力強い言質を与えてしまったのでした。それが一年を経た今年の1月12日(日)、第51回定期演奏会において実現することになった次第です。 今年はファミリー音楽会が、ホールの都合で2月16日(日)になっているので、かちあう懸念はありません。日曜日にローテーションでやっている仕事も12日には入っていませんでした。これはもう、行かざるを得ないではありませんか。 そこへ、マダムも聴きに行きたいと言い出しました。連休にかかっているということで、マダムも比較的暇だったのです。こうなれば、演奏会にひっかけた旅行ということにするべきでしょう。 幸いなことにマダムは、新幹線が嫌いだったり、鈍行で時間をかけたり、ローカル線に乗りたがったりする私の旅志向に大いに理解があります。バスも好きで、ひとりでも往復夜行バスで青森まで行ってしまったりしたことがあり、その点ではプランにあまり気を遣わなくても良いのが助かります。女性は──私の従妹などもそうなのですが──旅行するにしても移動時間を極力短くして目的地の滞在時間を極大にしたいという傾向の持ち主が少なくないようです。途中の行程が旅行の目的だということを理解してくれる女性は少なく、私は得難いパートナーを得ることができたと思っています。 というわけで、八重洲南口バスターミナルです。23時50分という、ほとんど次の日になりそうな出発時刻です。しかし土休日の晩の京浜東北線は、奇妙に電車の間隔があいている時間帯があり、けっこうぎりぎりでした。私たちが座席に落ち着くと、間もなく発車しました。 近大グリーの演奏会は、天満橋に近いドーンセンターというホールで開催されます。しかし開演時刻が17時ですから、夜行バスで朝に到着してしまっても、だいぶ時間があきます。 それで、大阪までは行かず、バスを京都で下りることにしていました。少し京都を散策してから、京阪の特急で天満橋に直行するというプランです。 京都というのは見どころが多すぎて、8時間くらい時間があった場合にどこへ立ち寄るか、かえって決めづらいところがあります。是非ここだけは行きたいという場所が思い浮かびません。 考えてみると、私は京都の街をろくすっぽ知らないのでした。京都駅に下り立ったことは数え切れないくらいあるのですが、ほとんど乗り換えのためばかりで、寺社を訪ねたなどというのは、もしかすると小学校に上がる前の春休み以来絶えて無かったことかもしれません。ちなみにその時、私は途中で水疱瘡を発症してしまい、小学校の入学式も欠席というしょうもないことになってしまいました。 高校の修学旅行は確かに奈良・京都でしたが、ほぼ全日が班単位の行動で、私たちの班は京都など歩かず、ちょうどその頃やっていた神戸ポートアイランド博へ直行してしまいました。 むしろ京都のことはマダムのほうが詳しかったりします。マダムも寺社巡りにはさほど興味がなさそうですが、講習会を受けるというのでしばらく滞在していたことがあり、その時は主催者の提案でレンタサイクルを借りて毎日出歩いていたそうなので、けっこう街並みなどが印象に残っていると言います。 それでマダムに、どこへ行きたいかと訊いてみると、意外にも即答で 「仁和寺」 と返ってきました。なんでも、修学旅行の時にそこでカメラを壊したとかで、なんとなく思い出深いのだそうです。 仁和寺を中心にしてルートを考えました。最寄り駅は京福電鉄北野線の御室仁和寺駅です。マダムの好きなローカル私鉄めぐりもからめるとすると、京福電鉄に乗ることにすると良さそうです。なお京福電鉄はかつては福井にも路線を持っていたので(現在のえちぜん鉄道)、現地では京福という名前よりも京都側のメイン路線である嵐山本線からとって「嵐電(らんでん)」と呼ばれるのが普通です。支線の北野線もやっぱり嵐電扱いされているのでした。 北野線のターミナルは北野白梅町で、ここは北野天満宮の最寄り駅でもあります。そこで、まず天神さんにお参りし、嵐電に乗って仁和寺へ行き、さらに嵐電で足を伸ばして嵐山まで行くことにしました。嵐山からは阪急で京都市街に戻ると、終点の河原町から京阪の祇園四条はごく近いので、だいたい良い按配の時間になりそうです。 バスは順調に走りました。途中の休憩地点(足柄サービスエリア、土山パーキングエリア)の通過時刻からしても、遅れは無さそうです。マダムと夜行バスで旅したのは3年前、出雲に行った時にやはり京都まで乗ったのでしたが、その時はゴールデンウィークのとっぱなで、東名高速がえらく混み、夜が明けてもまだ名古屋にすら着いていない有様で、そのあとの予定がめちゃくちゃになってしまったものです。今回は、前週のとんぼ返りを含めて、バスの運行は実にスムーズでした。 例によってあんまり寝つけない気がしましたが、それなりに眠ってはいたようです。ただ土山PAを出てから、なんだか脇腹がしくしくと痛んで困りました。京都に到着してもまだ痛みがあります。とりあえず朝食をとろうと地下街へ入り、その中のトイレでしばらくうずくまりましたが、あまり回復しません。どうしたことだろうかと心配になりました。脇腹の痛みというと、だいぶ前に尿管結石をやったことがあり、ひどく疲労した時などその古傷がうずくことがありますので、2週連続の強行軍でそれが多少出てきたのかもしれません。 サンドイッチを控えめに食べてから、立命館大学行きの路線バスに乗りました。北野天満宮を通るバスは何路線かあるようですが、京都駅からいちばん便利なのはこのルートであるようです。腹痛は、食事をしたらおさまってきたようです。空腹のせいもあったのでしょうか。 バスの車窓を眺めていると、やはりマダムのほうがずっと土地鑑があって、 「あ、ここチャリで走った」 「ここ見覚えある」 などとしきりに声を上げています。一方、 「二条城は、もともとは織田信長が足利義昭のために建ててやったお城なんだ」 などと、歴史について語るのが私の役割になっていました。 北野天満宮は、全国の天神さんの総元締めだけあって、広くて厳かな神社でした。この前行った三嶋大社よりも現在の社域は広いように思えます。マダムは過去ここに2度来て願掛けをし、2度ともうまく行ったそうなので、賽銭もやや奮発し、値段が高いほうのお守りを買い求めていました。 菅原道真という人はまれに見るほどの大秀才でしたから、学問の神様として御利益を期待するのはまあ良いのですが、政治家としてはあまり成功していません。遣唐使を廃止したくらいしか業績が無く、政争に負けて九州へ追いやられ、そこで病死したあと京都で天変地異が相次いだので、さては失意に果てた道真公の祟りかとおそれられ、霊を鎮めるために建立されたのが北野天満宮です。立身出世だとか野心の成就とかを願うのは、少々違うのではないかと思います。私は大宰府への「左遷」は必ずしも道真にとって不幸な出来事とばかりは言えないと考えていますが、胸中に抱いていた国家経綸の志を果たせなかったのは確かです。 ともあれ参拝して、一の鳥居のところまで戻って、さて嵐電の駅に行こうかと思った時、境内の案内図を見ていたマダムが 「これ見たい」 と一箇所を指しました。 豊臣秀吉が北野大茶会をおこなった際に使用したとされる「太閤井戸」が残っているようです。マダムは映画「清須会議」を見てから秀吉のファンになってしまったらしいのでした。 図をみた感じ、わりとすぐわかりそうな場所のようだったので、もう一度境内へ戻りました。 ところが、なかなか見つかりません。案内図に見えたような脇道が、どこにあるのかよくわからなかったのです。だいぶ歩き回り、結局収穫無しでまたもや一の鳥居に帰ってきました。今一度よく案内図を見ると、太閤井戸のイラストが描かれている場所と、その現物がある場所とは違うことがわかりました。みたび境内に入ると、すぐ見つかりました。なんども往復していた参道のすぐ近くにあり、案内図で予想したよりずっと小さなものだったのです。参道の脇に出店が並んでいたので、通っただけでは見えなかったのでした。 そんなこんなでだいぶ時間を食いました。もっとも、観光時間はだいぶ余裕を持っています。 一の鳥居のところに、嵐電の駅までは徒歩3分と立て札がありましたが、これは不動産屋時間と言うべきで、実際にはもう少しかかります。それでも、ほどなく北野白梅町駅に着きました。 電車は10分おきに発車していますし、駅間距離はごく短く、4つめの御室仁和寺には5分ばかりで着いてしまいます。電車を下りて踏切に立つと、すぐ向こうに仁和寺の山門が見えました。御室仁和寺駅は前はただの「御室」駅でしたが、これだけ近いのなら「仁和寺」を入れたほうが確かに観光客には親切でしょう。 私は仁和寺については縁起も知りませんでしたし、世界遺産になっていることも忘れていたほどに風馬牛でしたが、世界遺産だけあっていろいろな建造物の解説の立て札などは完備されています。 宇多天皇によって開基されたお寺で、この天皇は菅原道真とも深い関わりがあった人です。つまり道真は、宇多天皇が藤原氏の専横を抑えるために起用され位を加えられたと言って良いような存在で、ぶっちゃけてしまえば宇多天皇の傀儡だったと言えそうです。 宇多天皇は晩年出家して法皇となり、この仁和寺に住みました。天満宮とわりと近い場所であるのも何かの因縁でしょう。 金堂や五重塔の荘重さにも打たれましたが、私がいちばん気に入ったのは九所明神本殿でした。朱色を基調にした配色が実に良く、背後の枯れ山に映えました。新緑の季節などでも美しいでしょう。 残念ながらいくつかの建物は工事中で、近寄ることができませんでした。 また嵐電に乗ります。帷子ノ辻(かたびらのつじ)で本線に乗り換えて、嵐山へ向かいます。 嵐電はどこからどこまで乗っても200円均一で、ICカードを下車時に車内のリーダーに当てるようになっています。しかしこれだと、嵐山本線と北野線を乗り継ぐ時はどうするのかと気になりました。それぞれ200円ずつ取られることになってしまわないかと心配したのです。 帷子ノ辻に着いてみると、按ずるよりは産むが易しで、ここでは車内でリーダーに当てなくても良くなっているのでした。始終点である四条大宮・北野白梅町・嵐山の3駅と、乗換駅である帷子ノ辻は、駅の出口にリーダーが設置されていて、駅を出ない限りは精算されないようになっていました。 嵐山駅に着くと、そこらじゅうにカラフルな反物を円筒形に貼りつけたようなオブジェが立ち並んでいたので驚きました。「京友禅の光林 キモノフォレスト」というオブジェで、デザイナーの森田恭通氏によるプロデュースだそうです。駅のまわりを一周するような回廊状になっていました。暗くなると円筒の内部の電灯が光って幻想的な景色になるようです。 キモノフォレストを一巡してから、駅を出ました。嵐山は去年の豪雨でだいぶ被害を受け、渡月橋が水没してしまったほどの騒ぎになっていましたが、すっかり立ち直っていました。 そろそろ昼食時です。マダムが「湯豆腐を食べたい」と来る前から言っていたので、湯豆腐を食べさせる店に入りました。ただ、嵐山ではかなりの数の店で湯豆腐くらい食べさせるようで、その選択に迷いましたが、まあ良さそうな店を見つけ、汲み出し湯葉や揚げ出し湯葉などもセットになったお膳をいただきました。マダムが湯豆腐にこだわったのも、修学旅行の追憶だったようです。ただ当初は、仁和寺の山門のすぐ前の店で食べたと言っていたのですが、嵐山に来てみると、やっぱり嵐山で食べたのだったかも、と言い出しました。マダムの記憶もあんまりアテになりません。 土産物を買ったり、名物のコロッケを屋外で食べたりして過ごしましたが、案外と時間が剰っています。本来ドーンセンターに直行するつもりでしたが、土産物などで荷物も増えてきたし、この分だと宿にチェックインしてから、身軽に演奏会に出かけられるのではないかと思いました。それで、それ以上嵐山に長居はせず、渡月橋を渡って阪急の電車に乗りました。とはいえ、渡月橋から見る嵐山のたたずまいはやはり絶品で、いずれゆっくり探訪してみたいと思わせられました。 宿は淀屋橋なのですが、さらに時間を節約しようとするなら、河原町へなど向かわず、桂から直接阪急で梅田へ出てしまい、地下鉄御堂筋線に乗ればずっと短時間で淀屋橋へ着けます。京阪特急に乗ってみたいという興味だけで京都市街に戻ります。 ところで、桂から河原町まで乗った阪急の「快速特急」はなかなかレアな電車で、土休日に4往復しか走りません。しかも、「京とれいん」と書かれた、何やらオシャレなラッピングの車体です。 河原町に着いてから見ると、中間の2輌はえらく豪華な、JRなら確実にグリーン料金を取りそうな車輌が連結されていました。座席は2+1列のゆったりしたもので、シート張りも和風で実にシックです。別に特別料金が必要そうでもなく、普通に乗れたようです。しまった、と思いました。私の乗った車輌は普通の座席だったのでした(ただしシート張りは少し凝っていたようですが)。 いっそこの列車の戻りで梅田まで行ってしまおうか、とも一瞬考えましたが、何分後に戻るのかもよくわからなかったので、予定通り祇園四条駅へ。鴨川を渡るとすぐでした。 京阪特急といえばかつてはテレビカーで有名でしたが、いまはテレビはついていません。しかし伝統である2階建て車輌は、多少形を変えたものの健在です。とにかく私鉄の料金不要列車の中では常に最高水準の車輌を提供していたのが京阪でした。一時期、特急の運行が倍増して、車輌が足らず、一般車を使用した運行があってがっかりしたことがありましたが、現在では増備が進み、特急なのにロングシートにあたるようなことは無くなったと思います。 ただ編成の中での二階建て車輌の数は減ったようです。前は1輌おきに連結されていたような気がするのですが、現在では中間の1、2輌がそうなっているに過ぎません。うまいところで待っていないと2階建てにあたるのは難しいかもしれません。 運良く2階建て車輌の近くに居たので、もちろん2階席に乗り込みました。 JRの京都駅に連絡する七条を過ぎると、前は大阪の京橋までノンストップだったものですが、御多分に洩れずJRの新快速との競争には勝てず、途中駅の客をこまめに拾う方針になっています。そのため、丹波橋・中書島・枚方市などにも停まるようになりました。阪急の特急でも同じような現象が起こっています。これも時代の流れというものでしょう。 京橋からはすべての駅に停車します。ドーンセンターのある天満橋では下りず、終点の淀屋橋まで行きました。 宿は、淀屋橋駅から3分と謳っていましたが、ずいぶん遠く感じました。あとになってわかったのですが、地下鉄の淀屋橋駅の、もっとも南側の出口からであれば確かに3分くらいで行けたようです。京阪の淀屋橋駅は、地下鉄駅の北側にあり、しかも尖端が御堂筋に接するくらいの場所ですので、宿からはかなり遠くなってしまうのでした。御堂筋から2ブロックほど東側の道を使ってみたら、それほど遠くはありませんでした。 それにしても最初は予測よりも遠く、しかもチェックインに少し手間取ったため、あんまり時間が無くなってしまいました。何を手間取ったかというと、喫煙室がとられていたのを禁煙に訂正する必要があったのです。喫煙室をわざわざ私が希望するはずは無いのですが、じゃらんで予約する時にプランを間違えたのかもしれません。幸い同じ条件の禁煙室が空いていましたので、そこに替えて貰いました。その手続きに少々時間がかかったわけです。 急遽替えたためか、部屋に行ってみると、スリッパや洗面用具などのアメニティがひとそろいしかありません。シングルユースモードになっていたようです。これについては出かける時にフロントに言っておきました。 再び京阪の電車に乗って天満橋で下り、ドーンセンターに着くと、もう開演5分前くらいになっていました。危ないところでした。 私の作品は第2ステージになります。第1ステージは松下耕氏の作品集でした。組曲をまとまって演奏したわけではなくて、組曲からの抜粋をいくつかと、NHKコンクールの課題曲としてゴスペラーズが作った曲をアレンジしたもの、という選曲でした。しかもプログラムに載っていた曲を1曲落としていましたが、練習が間に合わなかったのかもしれません。学生副指揮者による指揮でした。 松下さんには悪いのですがそれをいわば前座とし、さて『きょう、いきる ちから。』の全曲初演です。 近大グリークラブは、現役メンバーが12人しか居ない、心許ない状況なのですが、このステージだけ、OB合唱団である生駒倶楽部が賛助出演してくれていました。人数が多くなったことで厚みが出たことももちろんですが、それよりも「大人の声」が加わったことに意味があったように思えました。思った以上に迫力のある演奏になっていました。 第1曲「笑い飛ばせ」は、無伴奏合唱からはじまります。男声合唱の粋はやはり無伴奏にあるような気がするので、冒頭にはピアノを用いませんでした。しかし、歌う側からするとやはり不安なものでしょう。去年の録音を聴くといささか頼りなげになっていました。 ところが今回は、非常に安定しています。これは良い演奏になるのではないかと予感させる出だしでした。 第2曲「くりかえす」は、その名のとおり同じようなモティーフを蜿蜒と「くりかえす」曲になっています。オスティナートの面白さが出せれば良いのですが、これはまだ完全に消化しきれていなかったかもしれません。それにしてもコンクールに出した時から見ればずいぶんと上達したことは確かでした。 前回割愛された第3曲「ぼくの真実」ですが、やはりこれを割愛してしまうと、組曲としての結構が調わないと実感しました。次の終曲「いいじゃん」の意味合いがまるで違ってきます。この第3曲は、現役学生たちよりも、生駒倶楽部メンバーに多大な共感を生んだようです。私自身はじめて聴いてみて、なかなか名曲ではあるまいかと思ったのでした。 そのあとを受けての「いいじゃん」を聴いて、ついほろりと来そうになっている自分に気がつきました。ひたすらに明るく肯定的な、サンバ調の曲ですが、「ぼくの真実」を通り抜けてみると、意外なほどの感動を受けることがわかりました。歌い手も同様であったのか、最後のほうで、ひとりずつが「いいじゃん」という言葉を「しゃべる」箇所があるのですけれども、みんなテンションが上がりすぎていて早口・大声になってしまい、私の意図した「多様な『いいじゃん』」の効果はあまり得られていなかったようです。 ところで「いいじゃん」というのは関東言葉で、あとで生駒倶楽部の人から、 「こっちでは『ええやん』というんで、東京の言葉はちょっと言いづらかったですな」 と指摘されました。 「東京というより、横浜弁ですね」 私はそう答えましたが、われわれが大阪弁と神戸弁を簡単には区別できないのと同様、向こうも横浜弁を「東京言葉」と区別するのは難しいようでした。 全曲初演としては申し分のない演奏であったと思います。ただし、聴客が少ないのが残念でした。 ピアノの鹿島有紀子さんには、一昨年末練習に顔を出した際、かなり細かく私の希望を伝えてあり、それを充分受け止めてくださっていました。新曲である「ぼくの真実」についてもそこから敷衍して音を作ってくれたようで、安心して聴いていることができました。 第3ステージはアニメソングでしたが、私は最後に歌われた「サクラ大戦」しかわかりませんでした。最近のアニメのメインストリームからは遠ざかっていたことを感じます。もっとも、あとでアニヲタと思われる学生とだいぶ意気投合して盛り上がりました。さらに鉄ちゃんの学生とも話が合い、今さらながらに自分のヲタ度に驚きます。 第4ステージは学生正指揮者の指揮で多田武彦の『柳川風俗詩・第二』。男声合唱の演奏会でタダタケステージが入るのはお約束みたいなもので、たまに入っていないのを聴くとびっくりしたりするほどです。それほどに ──男声合唱といえば多田武彦── なのですが、そろそろ変わっても良い頃ではあるまいかという気もしないではありません。 それにしても、人数が少なく、しかも約半数が1年生(関西では「1回生」でしたね)とあって、学生だけのステージでは、やはり声の練りの不足が感じられました。今回の直前から新しいヴォイストレーナーが赴任したそうなので、むしろこれからが楽しみです。 打ち上げにマダムともども参加してから宿に帰りました。マダムは鹿島さんや、もうひとりのピアニストである平岡めぐみさんと、だいぶ話がはずんでいたようでした。関西のピアニストはトゲが無くてつき合いやすい、というようなことを言っていました。彼女に言わせると、関東のピアニストは、彼女自身をも含め、なんとなくお互い無用の対抗心みたいなものを抱いてしまうのが常なのが、関西ではそういう身構えが無くて済むとのことでした。それが地域差なのか個人差なのかはわかりませんが。 (2014.1.14.) |